“しげかた”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
重固25.0%
茂質25.0%
重堅25.0%
重賢25.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
重文の妹天留てるの夫が意篤重貞しげさだ、重貞の子が重固しげかたである。退、あざな進之しんし、悔堂と号す。霞亭北条譲の養嗣子である。蘭軒と霞亭との親善であつたことはかみに見えてゐる。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
河村は己巳席順に「十二石二人扶持、河村大造、二十三」と云つてある。後の重固しげかたである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
玄白はこの書の稿が成ったときに、それに次の文を寄せているのです。このなかに門人茂質しげかたとあるのは大槻玄沢の名であります。
杉田玄白 (新字新仮名) / 石原純(著)
吉川元春は、自身、安芸あきを発し、同じ頃、秀吉は、占領地を宮部善性坊みやべぜんしょうぼう、木下重堅しげかたの二将にあずけて、姫路へ退陣して行った。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その子宇平太うへいたは始め越中守重賢しげかたの給仕を勤め、後に中務大輔治年なかつかさたいふはるとし近習きんじゅになって、擬作高ぎさくだか百五十石を給わった。次いで物頭列ものがしられつにせられて紀姫つなひめ附になった。文化二年に致仕した。
興津弥五右衛門の遺書 (新字新仮名) / 森鴎外(著)