辿たど)” の例文
とりあえずやみの中を駅前の交番まで辿たどりついてきいてみたが「さあ、今頃になって宿は無理でしょうな」と巡査は極めて冷淡である。
I駅の一夜 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
小便の海をわたり歩いて小便壺まで辿たどりつかねばならぬような時もあった。客席の便所があのようでは、楽屋の汚なさが思いやられる。
日本文化私観 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
お勢は引返しましたが、間もなく出て来ると、平次と肩を並べて、月のない街を、横網の方へ——妙にそわそわしながら辿たどりました。
鳥の前生譚だけは前にも列挙したように、少しも道徳味のないものが幾らもあって、民話は久しい間別の経路を辿たどっていたのである。
不愉快にちた人生をとぼとぼ辿たどりつつある私は、自分のいつか一度到着しなければならない死という境地について常に考えている。
硝子戸の中 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
やっとのことで私達はその大きな硝子工場の前まで辿たどりついた。私は急にいじけて、たかちゃんのあとへ小さくなって附いていった。
幼年時代 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
彼はまばらな星明かりを頼りにして、方角をよく知らない田圃みちをさまよいながら、どうにかこうにか大音寺前まで辿たどって行った。
籠釣瓶 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
こういう友達と一緒に、捨吉は薄暗い世界を辿たどる気がした。若いものを恵むような温暖あたたかい光はまだ何処からも射して来ていなかった。
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
何人もうかがい得ないような巨木や密生した熊笹で蔽われ、道は、意識的に、紆余曲折うよきょくせつして造られ、案内なしでは、とても辿たどりつけない。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すなわち、ドア向うの壁に、三つ並んでいる洗手台のせんを開け放しにして、そこから溢れてくる水に、自然の傾斜を辿たどらせたのだった。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
或る一つの作品を書かうと思つて、それが色々の径路を辿たどつてから出来上がる場合と、直ぐ初めの計画通りに書き上がる場合とがある。
笹の峰、薬王坂などの険しい道を進み、ようやく横川よかわ解脱谷げだつだににある寂定坊じゃくじょうぼう辿たどり着かれた。ところが多くの僧たちは騒ぎ立てた。
第一日は物部川ものべがわを渡って野市のいち村の従姉の家で泊まって、次の晩は加領郷かりょうご泊り、そうして三晩目に室津むろつの町に辿たどり付いたように思う。
初旅 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
それだけの前古ぜんこ未曾有みぞうの大成功を収め得た八人は、のぼりにくらべてはなお一倍おそろしい氷雪の危険の路を用心深く辿たどりましたのです。
幻談 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
その夜、奥の院に仏法僧鳥ぶつぽふそうくのを聴きに行つた。夕食を済まし、小さい提灯ちやうちんを借りて今日の午後に往反わうへんしたところを辿たどつて行つた。
仏法僧鳥 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
山のなかの神々しい湖水、山の人々の生活、そして人生のある道すじを辿たどってる種々の青年とその個性の運命などを感じて読みました。
青春の息の痕 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
温室の間を抜けて、露天食堂になつてゐる庭の一隅に辿たどりつき、片手の甲を、熱くほてつた頬にあてゝ、大きな溜息をつきました。
けむり(ラヂオ物語) (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
新道しんだう春日野峠かすがのたうげ大良だいら大日枝おほひだ絶所ぜつしよで、敦賀つるがかねさきまで、これを金澤かなざはから辿たどつて三十八里さんじふはちりである。かに歩行あるけば三年さんねんかゝる。
麻を刈る (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
半月前に辿たどって来たその同じ道を南へ取って一日も早くもとの居延塞きょえんさい(それとて千数百里離れているが)に入ろうとしたのである。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
この間を縫うて四人は一歩一歩辿たどった。ちょうど中頃の最も崩壊の甚だしい処に至ると、頭上とうじょううなりを生じて一大石塊が地にちた。
いや、それだけではすまされないのだ。そういう筋道を辿たどってきわめて行けば、思想の開顕という概念が得られそうに思うからだね。
ここからの陸路を左に取れば、おのずからサッポロに辿たどりつく。人馬の往来も目立つようであった。官用のみちは踏みかためられていた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
あえぎ/\車のきわまで辿たどり着くと、雑色ぞうしき舎人とねりたちが手に/\かざす松明たいまつの火のゆらめく中で定国や菅根やその他の人々が力を添え
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
その時々の環境やら出来事やらの連絡を辿たどり、過去がだんだんはっきりした形で見えるようになったのは、ついこのごろのことで
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
あなたはあなたのみちを別々に辿たどられたのも致方は無いものゝ、先生が肉のころもを脱がれた今日、私は金婚式でも金剛石婚式こんごうせきこんしきでもなく
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
けれどもくだんの侍は、あたりの眺めに心をひかれるさまもなく、思いありげなふところ手で、肩を落して、なぎさを北へと辿たどってゆきます。
艶容万年若衆 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
湯元に辿たどり着けば一人のおのこ袖をひかえていざ給えき宿まいらせんという。引かるるままに行けばいとむさくろしき家なり。
旅の旅の旅 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
山を越え川を渡り、谷峡を辿たどけわしい旅路を続けて、飯田城下もむなしく過ぎ、赤穂という小さな駅に泊ったときのことであった。
足軽奉公 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
野路を辿たどりて、我れ草花の香をげば、この帽子もまた、共にその香に酔ひたる日もありき。価安かりけれど、よく風流を解したる奴なり。
閑天地 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
その夜甚太郎の泊まったのは笛吹川の川畔の下向山したむきやま駅路うまやじであったが、翌日は早く発足し滝川街道を古関の方へ例の調子で辿たどって行った。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
少年が母をたずねて、この浜辺までひとりで辿たどって来た情熱を考えると、泣き出したいだろうお君さんの気持ちが胸に響くなり。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
時間と空間のあらん限りを馳けめぐって、脳髄の正体を突止めて行ったポカンの苦心惨憺の蹤跡あとをモウ一度くり返して辿たどってみるがいい。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
切髪は乱れ逆竪さかだちて、披払はたはたひるがへ裾袂すそたもとなびかされつつただよはしげに行きつ留りつ、町の南側を辿たどり辿りて、鰐淵が住へる横町にりぬ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
ホテルの門に辿たどり着いたときにも、長い道をけ続けたために、身体こそやゝ疲れていたものの、彼の憤怒ふんぬは少しも緩んではいなかった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
ことごとく水田地帯で、陸羽国境の山巒さんらん地方から山襞やまひだ辿たどって流れ出して来た荒雄川が、南方の丘陵に沿うて耕地をうるおし去っている。
荒雄川のほとり (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
そして、それに深く疲れる時いつも頭を休めに行つたのは、家から寂しい草原くさはら小徑こみちを五六町辿たどる海岸の砂丘さきうの上へであつた。
処女作の思い出 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
夕日を仰いで、田圃たんぼの中の一筋道を辿たどりながらも、彼は幾度か後を振返ろうとして、そのたびにようようの思いで喰いとめた。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
わたくしとしてはせいぜいふる記憶きおく辿たどり、自分じぶんっていること、また自分じぶんかんじたままを、つくらず、かざらず、素直すなお申述もうしのべることにいたします。
彼は、畑と畑との間を辿たどって進んだ。河骨こうほねなどの咲いている小流れへ出た。それに添うて三四町行くと、そこに巾の狭い木橋がかかっていた。
田舎医師の子 (新字新仮名) / 相馬泰三(著)
やがてまた戻って来ると、ひざで絞め殺されそうなのもものともせず、無理やり私たちの囲みを押し破って、とうとう煖炉だんろの一角に辿たどり着く。
博物誌 (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
岩とつづいて稜角リッジがプラットホームのように長い、甲府平原から仰いだ、硬い角度の、空線スカイラインの、どれかの端を辿たどっているのだ、何万という
白峰山脈縦断記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
こんなことを言いながら、橋板の上の血痕をよくよく辿たどって見ると、その一筋が、平右衛門町から第六天の方へ向いています。
大菩薩峠:19 小名路の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
そうして、森のほうにつづいた畦道あぜみちを僕は独りで辿たどって行った。考えごとをつづけながら。時おり、そのうつむいた首を悲しげに振りながら。
二十歳のエチュード (新字新仮名) / 原口統三(著)
死んで暗い道をひとりでとぼとぼ辿たどって行きながら思わず『マサカしのうとは思わなかった!』と叫びました。全くです、全く僕は叫びました。
牛肉と馬鈴薯 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
行手にもまたほかの町が見えていたが、平馬はべつにそこへ行くためにこの春の野の一本道を辿たどっているわけではなかった。
平馬と鶯 (新字新仮名) / 林不忘(著)
わが家に辿たどりついて、机の上の燈火をつけると、その火影ほかげもまた昨夜とは違い、にわかに清く澄んでいるような心持がする。
虫の声 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
それこそ俗論だ。妾宅こそは男子の風流生活の深奥に光っている、究極の実在だ。男子たる者はそこに辿たどりつくことによって、その風流生活を
メフィスト (新字新仮名) / 小山清(著)
『來月の六日むいかだすがな。』と、おみつ先刻さつきから昔の祭の日の記憶を辿たどつて、さま/″\の追懷つゐくわいふけつてゐたらしく思はれた。
東光院 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
辿たどってゆくと、この中の第二景「大阪道頓堀どうとんぼり」のところで例の三人のうち、紅黄世子だけが他の二人に別れて出演するのだ。
間諜座事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
どこを、どう辿たどったのかまるで夢中でサン・フロランタンの「旅館・金の鶏オテル・コックドル」というのにころげこんだのは九時近く。二人は九死一生の思い。