溜息ためいき)” の例文
黄昏たそがれには間のある、ふと往来の途絶えるいっとき。街ぜんたいがひそかに溜息ためいきでもつくような、沈んだ、うらさびしい時刻であった。
夕靄の中 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「雪が解けて、たらの芽でも何でも、青いものが出て来るようになれば」と、人々は遠い春をはるかに望んで、力弱い溜息ためいきをもらす。
元気を出して、物干場へあがってお日様を険しく見つめ、思わず、深い溜息ためいきをいたしました。ラジオ体操の号令が聞えてまいります。
皮膚と心 (新字新仮名) / 太宰治(著)
するとロッセ氏は、とつぜん吾れにかえったらしく、ふーっと、くじらのようにふかい溜息ためいきをついた。そして私にかじりついたものである。
「ああ、彼奴じゃ駄目だ。歩いて出入する以外に術があるまい。」熊城は悲しげな溜息ためいきを吐いたが、法水の顔は更に暗く憂鬱だった。
聖アレキセイ寺院の惨劇 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
いま餘波なごりさへもないそのこひあぢつけうために! そなた溜息ためいきはまだ大空おほぞら湯氣ゆげ立昇たちのぼり、そなた先頃さきごろ呻吟聲うなりごゑはまだこのおいみゝってゐる。
枕元にいる長屋の者は、時々、深い溜息ためいきでこう祈った。そして、お互いに、痛い心をジッと抑えて、虎五郎の容体を見まもっていた。
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
幸子はほっと溜息ためいきをついて寝返りを打った。そしてぱっちり眼を開けて見ると、いつの間にか部屋の中がすっかり明るくなっていた。
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
夜の更けたせいか、一瞬、寒む寒むとしたものを感じた私は、ほっと重い溜息ためいきを落したのと共に、鈍い音をたてた柱時計に気がついた。
腐った蜉蝣 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
なおも腕を深く組んで何事か考えまわしているらしかったが、そのうちに両手で眼鏡をかけ直しながら、軽い溜息ためいきと一緒につぶやいた。
復讐 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
母はほっと溜息ためいきをついて、考え込んでしまった。父もだまってしまった。わたしはこの会話の間じゅう、ひどく照れくさかった。——
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
溜息ためいきいて、ジーナは語り出しました。父親というのは、同じ長崎県でもここからは北のはずれに当る、平戸島の人だというのです。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
何度も寝返りを打ち、何度も深い溜息ためいきをつき、からだをちぢめ、また伸ばそうとこころみたが、ねむりはもう穏やかにはやって来なかった。
野に臥す者 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
ルイザは溜息ためいきをもらしたが、しかしきまり悪そうな笑顔をして服従した。幸いにもクリストフはそのことを少しも知らなかった。
しばらくするとお玉は起って押入を開けて、象皮賽ぞうひまがいかばんから、自分で縫った白金巾しろかなきんの前掛を出して腰に結んで、深い溜息ためいきいて台所へ出た。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
ヘレンは、彼女の默想が消えてしまふと、そつと溜息ためいきをついた。そして立ち上つて、返辭もせず、ためらひもせず、級長の命令に從つた。
「ああ、もう仕様がない!」私は思わず溜息ためいきをついた。そして「ええッどうにでもなれ」といった風に自分の身を運命に任せてしまった。
此時江戸表には八代將軍吉宗公よしむねこう近習きんじゆめされ上意には奉行越前守は未だ病氣全快びやうきぜんくわいは致さぬか芝八山やつやまに居る天一坊は如何いかがせしやとほつと御溜息ためいき
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「ざっとこう云う経過だ」と説明の結末を付けた時、平岡はただうなる様に深い溜息ためいきもって代助に答えた。代助は非常につらかった。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
朴訥ぼくとつな調子で語りおわると、石津右門はホッと溜息ためいきを吐きます。鬼の霍乱がしおれ返った様子は、物の哀れを通り越して可笑おかしくなるくらい。
うす暗ひランプの光…………彼女のすゝり泣く声………………何と云ふ薄命あはれな女であるかとわれをもはず溜息ためいきをついた、やがて汽車はとまつた
夜汽車 (新字旧仮名) / 尾崎放哉(著)
としみじみいたわって問い慰める、真心は通ったと見えまして、少し枕を寄せるようにして、小宮山の方を向いて、お雪は溜息ためいききましたが
湯女の魂 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
しつかり眼を閉ぢてゐても、ちつとも眠くならなかつた。何度も寝返りをうつては溜息ためいきをついた。そして夜はだんだんふけて来た。
良寛物語 手毬と鉢の子 (新字旧仮名) / 新美南吉(著)
「随分心配させられたぜ、もうもうどんなことが有っても、ひとりでなんぞ屋外そとへ出されない」と言って、正太は溜息ためいきいて
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
其方そちらおもよりもあらばつてれとてくる/\とそりたるつむりでゝ思案しあんあたはぬ風情ふぜい、はあ/\ときゝひとことばくて諸共もろとも溜息ためいきなり。
うつせみ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
急に何やら思出したように溜息ためいきをつき、例の如く細い目をぱちくりさせながら、じっと兵卒の衣裳ににぶい視線を注いでいた。
勲章 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
しきりに溜息ためいきをついておいでになりましたが、やがて低い声で『ああ、御運の悪い方だ』と独り言のように仰しゃいました。
半七捕物帳:01 お文の魂 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
大きな溜息ためいきをついて、壁の一隅につるしてある薩摩屋敷のくつわの紋のついた提灯ちょうちんを見て、じっと物を考え込んでしまいました。
大菩薩峠:25 みちりやの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
さう云つて、ことこまかに、時計の売れた一件を話すと、ゆき子は眼に涙をためて、「めぐりあひつて、いゝ事云ふひとね」と溜息ためいきをついた。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
らす溜息ためいきに代える程度により口へ出しえないのは、姫君のあまりに高貴な気に打たれてしまうことが多いからであった。
源氏物語:49 総角 (新字新仮名) / 紫式部(著)
といった身の上話に聴き入りながら、オーレンカはほっと溜息ためいきをして頭をふり、この男をしみじみ気の毒に思うのだった。
可愛い女 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
二時間目の授業が始まるからといって園が座を立ったあと、清逸は溜息ためいきをしたいような衝動を感じた。それが悪るかった。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
彼はほんのちょっとのあいだ躊躇ちゅうちょしたが、やがて、かすかな溜息ためいきをつきながら、黙って剣を抜き、防御の身がまえをした。
その運命を耐えている溜息ためいきが、今なお聞こえるほど、この芸術は、その耐えきるという男らしさ、心構えの苦しさが、そのまま人の魂をうっている。
美学入門 (新字新仮名) / 中井正一(著)
溜息ためいきをついたりして、変だと思った事もあったのですが、大阪へいっても死ぬ日に、たった一人で住吉すみよしへお参詣まいりに行くといって、それをめたり
江木欣々女史 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
それから男が大きい溜息ためいきいた。それを聞いて、女が男の顔を見ようとすると、男は顔をそむけた。そして突然云った。「ここがいじゃないか。」
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
あまりに悲しい時には溜息ためいきをつきながら、あるいは快活なふうを見せたい時にはそでを爪ではじきながら、こう答えた。
お島はそのたんびに、目に涙をためて溜息ためいきいたが、還るとも還らぬとも決らずに、話がぐずぐずになる事が多かった。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
甚兵衛はがっかりして家に戻ってきて、とんだことになったと溜息ためいきをつきながら、しみじみと馬の顔を眺めました。
天下一の馬 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
あやしいまでに生々しい蜘蛛と、可憐かれんな唐子の姿が、その餅肌の白さと一つになってはげしく彼の慾情よくじょうをそそった。藤三は首を振り、深々と溜息ためいきを吐いた。
刺青 (新字新仮名) / 富田常雄(著)
跡に忍藻はただ一人ッて行く母の後影をながめていたが、しばらくして、こらえこらえた溜息ためいきせきが一度に切れた。
武蔵野 (新字新仮名) / 山田美妙(著)
おまけに肩から背中にかけて一面に赤くただれた腫物はれものが崩れている有様に、悟浄は思わず足をめて溜息ためいきらした。
悟浄出世 (新字新仮名) / 中島敦(著)
なにを風呂場でふざけているのだろう。若い人はしようがないと思っていると、やがて溜息ためいきのような長い声が聞えた。
浴槽の花嫁 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
壮い漁師は溜息ためいきをついた。と、その眼の前へふらふらと寄って来た物があった。それは向うから来た女で、壮い小づくりなその顔が月の光に浮んでいた。
海嘯のあと (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
吉本はそれだけを言って深い溜息ためいきを一つした。吉本の言葉が永峯には、一つ一つ皮肉に聞こえてくるのであった。
街頭の偽映鏡 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
つひには溜息ためいききてその目を閉づれば、片寝にめるおもて内向うちむけて、すその寒さをわびしげに身動みうごきしたりしが、なほ底止無そこひなき思のふちは彼を沈めてのがさざるなり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
「そうね。私が悪かったわ。」菜穂子は自分が何か思い違いをしていた事に気がつきでもしたように、深い溜息ためいきをついた。そして思いのほか素直に云った。
菜穂子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
涙ぐんで「ハイ」とかすかに答えしがたちまち思い直して顔を揚げ「アハハ、牛は牛連れと言ってちょうどく似合いましょう」と無理に笑いて悵然ちょうぜん溜息ためいきく。
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
そして高踏極まる話をする青年の言葉の底にかえつて切ない人間の至情を感じて、何かなげかずにはゐられない気持ちになつた。歳子は哀れな優しい溜息ためいきをした。
夏の夜の夢 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
俺はなぜか、ふーっと溜息ためいきをついた。小娘のくせに度胸がある。感歎の溜息だと俺が自分に言いきかせると
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)