おさ)” の例文
コスモは手で横腹を強くおさえていたが、姫はそれをよく見ると、抑えている彼の指のあいだからおびただしい血がほとばしっていた。
残る一人がちょっと狼狽ろうばいしたところを、飛びかかって、肩をおさえて二三度こづき廻したら、あっけに取られて、眼をぱちぱちさせた。
坊っちゃん (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
日本人の仕事が一も二もなくおさえつけられて手も足も出せない当時の哈爾賓の事情を見ては、この上永く沈着おちつく気になれなくなった。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
本当に病気だったこともあり、誰からともなくうわさが耳にはいると、ようすをみにゆきたい、というおさえがたい衝動に駆られたものだ。
青べか物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そこで武大さんとしめし合せ、姦夫と淫婦の現場をおさえろと、二人で二度目の襲撃をこころみたのだが、何しろ王婆の警戒がきびしい。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
Kはうなずいてみせ、単調で無意味なはしゃぎかたをどうしてもおさえられないでいるあの行員のカミナーのことを、心ひそかにのろった。
審判 (新字新仮名) / フランツ・カフカ(著)
が、階子段の下まで行くと、胸は迫って、涙はハラハラととめどなくぐるので、顔をおさえて火鉢の前へ引っ返したのである。
深川女房 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
と云いさま、此方こちらも元は会津の藩中松山久次郎まつやまきゅうじろういさゝか腕におぼえが有りまするから、庄三郎の片手をおさえたなり、ずうンと前にのめり出し。
松と藤芸妓の替紋 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
耐え難くもすさぶ心をおさえながら、昨日は西、今日は東とさすらい求めていたのです。本当に苦しい、それは忍従そのものでした。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
されども浪子は父の訓戒いましめここぞと、われをおさえて何も家風に従わんと決心のほぞを固めつ。その決心を試むる機会は須臾すゆに来たりぬ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
しな硬着かうちやくした身體からだげて立膝たてひざにして棺桶くわんをけれられた。くびふたさはるのでほねくぢけるまでおさへつけられてすくみがけられた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
斯く爲しつつ空中の鳥を目掛けてげる時は、あみを以て之をおほふと同樣、翼をおさへ体をけ鳥をして飛揚ひやうする事を得ざらしむ。
コロボックル風俗考 (旧字旧仮名) / 坪井正五郎(著)
しかしりに貴方あなたところ真実しんじつとして、わたくし警察けいさつからまわされたもので、なに貴方あなたことばおさえようとしているものと仮定かていしましょう。
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
油断せる貫一が左の高頬たかほを平手打にしたたくらはすれば、と両手に痛をおさへて、少時しばしは顔も得挙えあげざりき。蒲田はやうやう座にかえりて
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
その宣告は、おさえられてはいるが、しかし断固たる調子でなされたので、男には重々しく響いたらしかった。彼は立ち上がった。
発狂人の多くは勇気あり熱心あり気象のさかんであるのであるが、惜しいかな心を守り、気をおさえる力がないのである。古人のいわ
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
いはく、ひだりよ。羿げいすなはちゆみいてて、あやまつてみぎにあつ。かうべおさへてぢて終身不忘みををはるまでわすれずじゆつや、ぢたるにり。
術三則 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
「まあ、こんなところへつくって、あぶないからとしてしまおうか。」と、ほうきをったおさえてためらいましたが
ある夏の日のこと (新字新仮名) / 小川未明(著)
「シッ、シッ、大きな声だなあ」松村は両手でおさえつける様な恰好をして、ささやく様な小声で、「大変なお土産を持って来たよ」
二銭銅貨 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
「あんなやぶ医者に何がわかる? あいつは泥棒だ! 大詐偽おおさぎ師だ! それよりもお前、ここへ来て俺の体をおさえていてくれ。」
馬の脚 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
この言葉に、私は破顔一笑、——重くおさえつけられたような気持からほッと救われた。ここで私は高勢という名で通っていた。
如何なる星の下に (新字新仮名) / 高見順(著)
おさえ抑えている葉子の気持ちが抑えきれなくなって激しく働き出して来ると、それはいつでも惻々そくそくとして人に迫り人を圧した。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
おれのう、もう掴まるか、もう掴まるかと思って、両手で鳥をおさえると、ひょいひょいと、うまい具合に鳥は逃げるんです。
微笑 (新字新仮名) / 横光利一(著)
最も卑しむべき動物は百姓だ——これには強圧を加えるよりほかに道はないと、それ以来の神尾家は、代々そう心得て百姓をおさえて来ていた。
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
二人が愛情のい立ちから言っても、これから将来のことを考えても、彼の心はおさえに抑えたものであらねば成らなかった。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
この機会になりとも女王への初めの消息を送りたいとお思いになり、そのお心持ちがしまいにおさえきれずに、美しい桜の枝をお折らせになって
源氏物語:48 椎が本 (新字新仮名) / 紫式部(著)
そしてつまらぬことをお宮に根掘り葉掘りきたいのを、じっとおさえてこらえながらもやっぱり耐えられなくなって、さあらぬようにしてたずねた。
うつり香 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
中根なかねだな、相變あひかはらず爲樣しやうのないやつだ‥‥」と、わたし銃身じうしんげられたひだりほほおさへながら、忌々いまいましさに舌打したうちした。
一兵卒と銃 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
なんら後悔の情は起こさなかったが、「おまえがこの老夫人の下手人げしゅにんだぞ」という良心の声を、彼はどうしてもおさえつけることが出来なかった。
こうこぼしながらも心中の喜びはおさえきれない。それと同時に文子も次第に美しくなった、が文子の顔に何やら一点の曇りがたなびきはじめた。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
それだからドイツの政治は、旧教の南ドイツをさからわないようにおさえていて、北ドイツの新教の精神で、文化の進歩をはかって行かなくてはならない。
かのように (新字新仮名) / 森鴎外(著)
彼女は何かの香気のこもつてゐさうな夜気を大きく吸ひながら、こみ上げて来る安堵の表情をおさへる事が出来なかつた。
朧夜 (新字旧仮名) / 犬養健(著)
そして、滑稽にして悲惨なる此の場面の主人公の腕をおさえ、脚を抑えて、庭から裏山づたいに、間道の方へ運び出した。
青年歴史家が帰ってからしばらくして、ふと、ナブ・アヘ・エリバは、薄くなったちぢれっ毛の頭をおさえて考えんだ。
文字禍 (新字新仮名) / 中島敦(著)
モスクワへ行きたい希望をおさえることができなかった。黒河に住んで一年になる。いつか、ブラゴウエシチェンスクにも、顔見知りが多くなっていた。
国境 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
ややもすれば湧き立とうとする人の情と人の心を、荒々しい言葉でおさえつけるように手きびしく叱っておくと、かたわらをかえりみて対馬守はふいっと言った。
老中の眼鏡 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
国民の不安が、もうおさえきれない程、絶頂ぜっちょうにのぼりつめたと思われた其の日の夜、東京では、JOAKから、実に意外な臨時ニュースの放送があった。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
再び彼は鉛色なまりいろに蒼ざめた。しかし、先と同じく彼は怒りを完全におさへた。彼は力を入れて、しかし落着いて答へた。
兄上先にお渡りなされ、弟よ先に渡るがよいと譲り合いしが、年順なれば兄まず渡るその時に、まろびやすきを気遣いて弟は端を揺がぬようしかとおさゆる
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
突然絶望の声を上げ、山吹が両眼をおさえたので多四郎はギョッとして腰を浮かせたが、何が駄目なのか解らない。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「あツ、あツ」と、私は奇妙な叫び声を発して下腹をおさへた。両手の十本の指を宙に拡げて机の前で暴れ騒いだ。
途上 (新字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
「人皆の行くごと見めや」の句は強くて情味をたたえ、情熱があってもそれをおさえて、傍観しているような趣が、この歌をして平板から脱却せしめている。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
庭へ出るつもりで、京子の部屋の前などを通り、つい声をかけられたらことだと思ったので、村川はいらだって来る心をおさえて、じっと書斎で待っていた。
第二の接吻 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
強い意志でわが思いをおさえている。いくら抑えてもただ抑えているというだけで、決して思いは消えない。むしろ抑えているだけ思いはかえって深くなる。
春の潮 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
かかればたとひ汝等のうちに燃ゆる愛みな必須より起ると見做すも、汝等にはこれをおさふべき力あり 七〇—七二
神曲:02 浄火 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
母親の優しい小さい目にも、一時に涙がき立った。そして何にも言わずに、手巾ハンケチで面をおさえた。お庄も傍で目をうるませながら、くすぐッたいような気がした。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
福鼠ふくねずみ彩色いろどれ』と女王樣ぢよわうさま金切聲かなきりごゑさけばれました。『福鼠ふくねずみれ!福鼠ふくねずみ法廷はふていからせ!それ、おさえよ!そらつねろ!ひげれ』
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
私が他所よそからひとりで帰って来る——すると時々パパがうちから出迎えてだまって肩をおさえて眼をつぶって、そしてけた時の眼が泣いている。こんなことも?
かの女の朝 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
然しそれらの同志たちよりもる意味ではモットつらいことは、ブラリと外へ出ることが出来て、しかもそれをおさえて行かなければならなかったからである。
党生活者 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
父がそれ等の乱暴な俥夫の横理屈に対してあくまで自分をおさへて彼等の機嫌を取つてゐるのを私は屡々しば/\見た。
ある職工の手記 (新字旧仮名) / 宮地嘉六(著)