憎悪ぞうお)” の例文
どんな人間に対しても、その死となれば、日頃の憎悪ぞうおや感情を超えて、誰もが、一種冷ややかな厳粛感に打たれてくるものとみえる。
夏虫行燈 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
覚悟をしていたことながら、瑠璃子は今更のように、不快な、悪魔の正体をでも、見たような憎悪ぞうおに、とらわれずにはいられなかった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
(歯をむいて笑おうとする。しかしその歯が、くちびるにへばりついて、ひきつったしかめヅラになる。そこに現われているのは、憎悪ぞうお
胎内 (新字新仮名) / 三好十郎(著)
そして腹の底からの軽蔑けいべつ憎悪ぞうおとをもって伯父をにらみつけながら「帰ろうよ! 帰ろうよ!」と火のごとく叫んできかなかった。
自分は常にどんな時にも、自己弁護や排他のために考えるのでなく、真理の公明正大を愛するために、邪説や詭弁きべん憎悪ぞうおするのだ。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
彼は激昂げっこうのあまり、彼らの憎悪ぞうお心をなお誇張して考えていた。それらの凡庸ぼんような奴らがいだき得ない本気さをも、彼はそこに想像していた。
津田は一種けわしい眼をしてお秀を見た。その中には憎悪ぞうおが輝やいた。けれども良心に対して恥ずかしいという光はどこにも宿らなかった。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「ええっ! この地震っ子——」と母親は憎悪ぞうおをこめて呶鳴どなってみたが、すぐにそれをあきらめて今度は嫌味をならべだした。
白い壁 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
かねてあんなに憎悪ぞうおしていたサロンにも出入し、いや出入どころか、自分からチャチなサロンを開設し半可通どもの先生になりはしないか。
十五年間 (新字新仮名) / 太宰治(著)
僕はこの時のゲエルの微笑を——軽蔑けいべつすることもできなければ、憎悪ぞうおすることもできないゲエルの微笑をいまだにありありと覚えています。
河童 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
今は目を飛び出すほどもひらいて、憎悪ぞうおに燃えてにらんでいた。その眼球が血を吹いて、サッと川波の首筋へ飛びついていくかと怪しまれた。
影男 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
などと大臣は最初の意気込みに似ない弱々しい申し出をしたが、もう太后の御機嫌きげんは直りもせず、源氏に対する憎悪ぞうおの減じることもなかった。
源氏物語:10 榊 (新字新仮名) / 紫式部(著)
観客の頭にはあらかじめ被殺害者に対する憎悪ぞうおという魔薬が注射されているから、かえって一種の痛快な感じをいだかせ
映画雑感(Ⅳ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
それを自らの手によって行っている小山すみれの顔は、始めと同じく無表情で、悔恨かいこんの色もなければ憎悪ぞうおの気も見えない。
鞄らしくない鞄 (新字新仮名) / 海野十三(著)
で、何事もせねば非難も憎悪ぞうおまぬかれるのである。僕の知人にして、今は故人こじんとなったが、生前公職につき藩政にあずかって大いに尽した人があった。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
然し少くとも憎悪ぞうおの対象を減ずることは出来る。出来るはずであるのみならず、私達は始終それを勉めているではないか。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
弄したのではない、この際の、彼としての憎悪ぞうおと、忌避と、憤怒とを最大級に表現する言葉としては、これよりほかに見出せなかったのでしょう。
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
と、坂本さんが、ぼくのかたたたき、「秋子ちゃんからじゃないか」と笑いながら、言います。皆の顔が、一瞬いっしゅん憎悪ぞうおゆがんだような気がしました。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
煩悩ぼんのうの氷厚ければ、これを割る仏の慧日、光芒をいや増す。憎悪ぞうお無尽むじんならば、これを解く仏の慈悲もまた無尽である。
阿難と呪術師の娘 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
笹村はちょっとした女の言い草に、自分の気持を頓挫しくじると、しばらくやされていた女に対するはげしい憎悪ぞうおの念が、一時にむくむくかえって来た。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
一八一五年の条約には、自身親しく侮辱を受けたかのように激昂げっこうした。直接の憎悪ぞうおをウェリントンに向けた。その憎悪は群集の気に入るものだった。
自分と云う性根のない女を、思いきりさいなんでもらわなければならないような気がした。そのくせ、千穂子は与平を憎悪ぞうおする気持ちにはなれなかった。
河沙魚 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
「ヤーイ、何をベチャクチャしてるのだい! 岩さんに云い付けるぞ!」憎悪ぞうおの光を眼にたたえ、「オイ岩さんがやって来るぞ! 妙な人と一緒にな!」
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
ちょっとは新しいもののような錯覚を起こさすが、やがて俳句らしからざる俳句として憎悪ぞうおされるようになる。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
ポルフィーリイも客を面と向かって嘲笑ちょうしょうしながら、客がその笑いを憎悪ぞうおで受け取っているにもかかわらず、その状態を大して気にしている様子もなかった。
その日からうちじゅうの者はのこらず、大っぴらでわたしに対して憎悪ぞうおを見せ始めた。祖父そふはわたしがそばにると、腹立はらだたしそうにつばをはいてばかりいた。
手の内の玉を奪われようとする式部は、久次郎に対しておさえ切れない嫉妬と憎悪ぞうおを感じた。彼は鋭い眼をかがやかして、厳重にふたりの行動を監視していた。
半七捕物帳:26 女行者 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そういう弱々しい性格(恐らくそれは彼自身のであろうけれど)に対するはげしい憎悪ぞうおも持っていない
美しい村 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
それでいてなおかつ己を全うする途を棄て道のために天下を周遊していることを思うと、急に、昨夜は一向に感じなかった憎悪ぞうおを、あの老人に対して覚え始めた。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
その白縞しろしまはかまを着け、紺がすりの羽織を着た書生姿は、軽蔑けいべつの念と憎悪ぞうおの念とをその胸にみなぎらしめた。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
憎悪ぞうおというほどではない短気な怨恨えんこんもあり、尊敬の念もいくらかあるし、尊重の気持はもっと多くあり、恐れの心はよほどあり、不安な好奇心はうんとたくさんあった。
この油断のない、貪欲どんよく悪賢わるがしこい鳥に対して、わたしはずっと前から憎悪ぞうおをいだいていたのである。
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
佐佐の顔には、不意打ちに会ったような、驚愕きょうがくの色が見えたが、それはすぐに消えて、険しくなった目が、いちのおもてに注がれた。憎悪ぞうおを帯びた驚異の目とでも言おうか。
最後の一句 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
虚報にしては、あまりに細部さいぶにわたった報知だったから。清盛は父をひどくにくんでいました。彼は自分の憎悪ぞうお復讐ふくしゅうせずに制することのできるようなやつではありません。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
憎悪ぞうお復讐ふくしゅうに燃える声だ。これが、歯をむように、喬之助のあかい口びるを叫び出た。戸のむこうの台所では、その物すご気魄きはくに打たれて、壁辰は思わずゾッ! とした。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
隠居は、雪之丞を、闇討ちに掛ようとしたほどの、心肝に徹する平馬の憎悪ぞうおを知らないのだ。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
憎悪ぞうおと自責とが恋情れんじょう燈火とうかのまわりをぐるぐると回転した。それは際限のない回転だった。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
熱いもぬるいも知らぬような風に飲んだ。顔色かおいろえない、気が何かにねばっている。自分に対して甚しく憎悪ぞうおでもしているかとちょっと感じたが、自分には何も心当りも無い。で
鵞鳥 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
というような憎悪ぞうおの色をみせたものでしたから、こうなると右門のほうも自然と意地になるので、ためにはからずも柳生道場門前において、宇治川もどきの先陣争いとなったのです。
恐るるとにはあらで一種やみ難き嫌厭けんえん憎悪ぞうおの胸中にみなぎりづるを覚えしなり。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
莫迦ばかな、何を云われるのです」と博士の驚愕きょうがくの色が、たちまち憎悪ぞうおに変った。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
馬に憎悪ぞうおの念強き事、バートンの『メジナおよびメッカ巡礼記』十五章にメジナで至って困ったのは毎夜一度馬が放れ暴れたので、たとえば一老馬が潜かにそのつながれいるはなかわを滑らしはずし
これまでは、自分の熱愛する女がそうせよというなら、もう一生京都に住んで京の土になっても厭いはせぬとまでなつかしく思っていたその京都を、それ以来私はいかに憎悪ぞうおしてのろったであろう。
霜凍る宵 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
皆は焼き殺すような憎悪ぞうおに満ちた視線で、だまって、その度に見送った。
蟹工船 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
彼は栗饅頭くりまんじゅうを喰べたときの、苅田壮平のへつらい笑いや、哀願するような卑屈な表情が眼にうかぶと、それがさくらと共謀しているかのように思われ、烈しい個人的な憎悪ぞうおさえ感じるようになった。
醜聞 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
さまざまな憎悪ぞうおもつまずきも新しい希望への道筋の石ころになれ。
妻の座 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
男が悪口する以上な憎悪ぞうおの目をもって眺めさげすみました。
平塚明子(らいてう) (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
其西洋人を合せて自動車に対する憎悪ぞうおおさえかねた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
しまいに功を奏するのは党派の憎悪ぞうお
金でもって、こんな白痴の妻——いなもてあそび物に、自分をしようとしたのだと思うと、勝平に対する憎悪ぞうおが又新しく心の中に蒸し返された。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)