うしな)” の例文
私は石狩本流の絶壁から墜落したトタンに、そうした記憶をスッカリうしなっていたのです。ええええ。事実ですとも事実ですとも……。
キチガイ地獄 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
……母をうしなった時も、暗い影はぞくぞくと彼のなかに流れ込んで来た。だが、それは息子むすことしてまだ悲しみに甘えることも出来たのだ。
死のなかの風景 (新字新仮名) / 原民喜(著)
お若は今までの激しい表情をうしなつて、急に打ちしをれました。見る/\大粒の涙が、その長い睫毛まつげを綴つて、ポトポトと疊を濡らします。
三人は救助されると、一せいに気をうしなってしまった。が、すぐ潜水服を脱がせて、手当を加えたので、間もなく息を吹きかえした。
地球発狂事件 (新字新仮名) / 海野十三丘丘十郎(著)
東海に郭純かくじゅんという孝子があった。母をうしなって彼は大いにこくした。その哭するごとに、鳥の群れがたくさん集まって来るのである。
茶山の再び妻をうしなつたのも亦此年である。行状に「配内海氏早亡、継室門田氏有内助之方、先歿、年七十、無子」と云つてある。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
七年前に父をうしなった兄弟は、戸塚の下宿の、あの薄暗い部屋で相会うた。兄は、急激に変化している弟の兇悪な態度に接して、涙を流した。
「この狐おんな、おっぺしゃんこ、卑劣漢、ふ、幾らでもあったのに、それからもっと気をうしなうほど脅かしてやればよかった」
七日七夜 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
あれほど明快な頭脳の持主がそんなに簡単に理性をうしなってしまうもんだろうかね? 俺はやっぱりあいつが発狂してるとは思いたくないね。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
ただ我が老いたる親ならび菴室あんしつに在り。我を待つこと日を過さば、自ら心をいたむる恨あらむ。我を望みて時にたがはば、必ずめいうしななみだを致さむ。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
小学校へ通っている頃病気のために父をうしない、母親の手内職ひとつで育てられ、入営後もその母親が独りで留守を守っていると云うことだが
ほとんど同時に、院長のなにがしは年四十をえたるに、先年その妻をうしなひしをもて再び彼をめとらんとて、ひそかに一室に招きて切なる心を打明かせし事あり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
十四郎はまったく過去の記憶をうしなっていて、あの明敏な青年技師は、一介の農夫にも劣る愚昧ぐまいな存在になってしまった。
白蟻 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
尊氏へたいして、一歩前進を見せ、親房は亡くも、決して素志そしうしなう南朝でないことを、つよく示されたものといえる。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わたくしいまやまた軍艦ぐんかんのみならず一度いちどうしなつたとおもつた日出雄ひでををもくにさゝぐること出來できるやうになつたこと感謝かんしやします。
たらばがにのような顔をした宿屋の主人は眼をしばだたいた。進んで同行しようと云うのであった。哀しみは、顧客をうしなったことだけではなかった。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
二葉亭に接近してこの鋭どい万鈞ばんきんの重さのある鉄槌に思想や信仰を粉砕されて、茫乎ぼうことして行く処をうしなったものは決して一人や二人でなかったろう。
二葉亭余談 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
彼の心には、さなきだに人間らしい感情が乏しかったのに、それが刻一刻と薄れて、見る影もない廃残の身からは日毎ひごとに何ものかがうしなわれて行った。
彼女は、二十八の年に夫をうしなつた。それを知つてゐるものでさへ、今が四十二であるとは誰も忘れてゐるであらう。
落葉日記 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
民族的な兇暴性や原始性やは、謂わば生理的に女性としての機能をようやくうしなわんとする初老の婦人の活力と同じに、既に絶点から下降し始めている。
霧の蕃社 (新字新仮名) / 中村地平(著)
伏しておもう、それがししつうしなって鰥居かんきょし、門にって独り立ち、色に在るのかいを犯し、多欲のきゅうを動かし、孫生そんせいが両頭の蛇を見て決断せるにならうことあたわず
牡丹灯籠 牡丹灯記 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
示されるものは公衆にびる俗悪と、自己に利する粗製とのみではないか。多と美とは分れ、民と美とは離れ、工藝は質を失い美をうしなってきたのである。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
たかしの弟は脊椎せきついカリエスで死んだ。そして妹の延子も腰椎ようついカリエスで、意志をうしなった風景のなかを死んでいった。
冬の日 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
聖母サンタマリア! 私は存じません!」こう答えるなり彼女は気をうしなってござ張りの床の上にバタリと卒倒した。
みずから曰く、「我れと一丈夫、にそのこうべうしなうを忘れんや」と、彼はみずから死を決して徴命に応じたり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
兄の道太郎と共に早く両親をうしなった彼女は、卒業後も、しばらく家で唯一の女手として兄の面倒を見ていた。
明暗 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
今日の日本では所謂いわゆる知的な読者でさえ、作品と作家の生きかたというものの間にある必然について全く感覚をうしなっている。これは、どういうことなのだろう。
今日の読者の性格 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
しかしわたくしは大正壬戌じんじゅつの年の夏森先生をうしなってから、毎年の忌辰きしんにその墓を拝すべく弘福寺の墳苑におもむくので、一年に一回向島のつつみよぎらぬことはない。
向嶋 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
もはやそういった「健康」をうしなってしまったぼくは、復校してくる連中のひきおこす活動的な混乱、喧騒けんそうにいやでも巻きこまれて、きっとやつらのその健康に
煙突 (新字新仮名) / 山川方夫(著)
我をつかさどるものの我にはあらで、先に見し人の姿なるをしく、怪しく、悲しく念じ煩うなり。いつの間に我はランスロットと変りて常の心はいずこへかうしなえる。
薤露行 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
暴馬あれうまは街はづれにて、立木に突きあたりて止まりぬ。車中よりは、人々齡よはひ四十の上を一つ二つえたる貴人の驚怖のあまりに氣をうしなはんとしたるを助け出だしき。
往事回顧すれば十五年、社中君をうしなうてより又十年、今の学友或は之を知らざる者もあらん。記して以て君の言行の一を知らしめ、兼て天下国権論者のいましめに供す。
故社員の一言今尚精神 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
母后についで背の君をうしなった多至波奈姫が、太子生前の教を思い、推古天皇の御ゆるしを得て、太子の御霊みたまの赴くであろうパラダイスを悲しみつつ描いたのである。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
愛子をうしなった悲嘆の余りにわかに迷信深くなり、売僧まいすの言葉を真に受けて、非常識に畜類を憐れむようになり、自身戌年いぬどしというところから取り分け犬を大事に掛けた。
紅白縮緬組 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
翁未だ壮年の勇気をうしなはざれど、生年限りあれば、かねて存命に石碑を建つるの志あり、我が来るを待ちて文をしよくせしめんとの意をのべければ、我は快よく之を諾しぬ
三日幻境 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
のち永楽七年に至りて自殺す。安等をうしないてより、南軍おおいに衰う。黄子澄こうしちょう霊壁れいへきの敗を聞き、胸をして大慟たいどうして曰く、大事去る、吾輩わがはい万死、国を誤るの罪をつぐなうに足らずと。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
肉親の兄弟でもあり、学問の上の知己でもあったこの二人の禅僧をうしなって、兼良生来の勝気な性分もめっきり折れて来た。あの勧修念仏記かんじゅねんぶつきを著したのはその年の秋のことである。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
孟軻もうかの語に、志士は溝壑こうがくにあるを忘れず、勇士はそのこうべうしなうを忘れずと。余は昨今のごとき騒々しい世にありて、キンダマの保全法くらいは是非たしなみ置かねばならぬと存ずる。
鎮明嶺ちんめいりょうの下に住んでいる喬生きょうせいという男は、年がまだ若いのにさきごろその妻をうしなって、男やもめの心さびしく、この元霄の夜にも燈籠とうろう見物に出る気もなく、わが家のかどにたたずんで
世界怪談名作集:18 牡丹灯記 (新字新仮名) / 瞿佑(著)
風聞にれば総角そうかくの頃に早く怙恃こじうしない、寄辺渚よるべなぎさたななし小舟おぶねでは無く宿無小僧となり、彼処あすこ親戚しんせき此処ここ知己しるべと流れ渡ッている内、かつて侍奉公までした事が有るといいイヤ無いという
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
このころからして禁裏にも出入し、一人前の公卿として働くこととなり、三条西家の人々もようやく愁眉を開くこととなったのに、好事には魔多くして、十八歳のとき母をうしなったのである。
農村富農から藍玉あいだま仲買業や酒屋や山林業者やが派生して、必然的な道筋に添うて初期資本家を形成しても、他面彼らが依然たる封建制根底者的富農の資格をうしなっていないこと、それどころか
新撰組 (新字新仮名) / 服部之総(著)
火災にかかった上に親をうしなうとか、子をうしなうとか、あるいは自分が急病にかかるとか、すなわち人生のあらゆる苦しみが、一時におそい来たるときはこれぞ人生の実際の実際たるゆえんであって
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
満廷の群臣色をうしない汗を握る暇もなく、皇帝震怒、万雷一時に激発した。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
こんな風に第一線で詞戦ことばだたかひをする。双方が時時突貫を試みようとする。女はきい/\云ふ。男は罵る。子供は泣く。そのうち弱いものが二三人押し倒される。気をうしなふ。それを踏み付ける。罵詈あざける。
防火栓 (新字旧仮名) / ゲオルヒ・ヒルシュフェルド(著)
〔譯〕おのれうしなへばこゝに人をうしなふ。人を喪へば斯にものを喪ふ。
予、往を顧み來を慮り、半夜惘然として吾れ我れをうしなふ。
人生終に奈何 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
うしなはれた美しい日々ひび歌声うたごえではない
霙の中 (新字旧仮名) / 森川義信(著)
時をうしなった秋天しゅうてんのかけらを崩して
原爆詩集 (新字新仮名) / 峠三吉(著)
余ヤ土陽僻陬どようへきすうノ郷ニ生レ幼時早ク我父母ヲうしなヒ後初メテ学ノ門ニ入リ好ンデ草木ノ事ヲおさまた歳華さいかノ改マルヲ知ラズ其間斯学ノタメニハ我父祖ノ業ヲ廃シ我世襲せしゅうノ産ヲ傾ケ今ハ既ニ貧富地ヲ疇昔ちゅうせき煖飽だんぽうハ亦いずレノ辺ニカ在ル蟋蟀こおろぎ鳴キテ妻子ハ其衣ノ薄キヲ訴ヘ米櫃べいき乏ヲ告ゲテ釜中ふちゅう時ニ魚ヲ生ズ心情紛々いずくんゾ俗塵ノ外ニ超然ちょうぜんタルヲ