“喪”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
うしな64.7%
19.4%
うし3.8%
ほろぼ2.4%
うしの2.1%
2.1%
1.0%
そう0.7%
なく0.7%
はて0.7%
なくな0.3%
0.3%
はふり0.3%
ほう0.3%
ほろ0.3%
ウシナ0.3%
ウシノ0.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
私は石狩本流の絶壁から墜落したトタンに、そうした記憶をスッカリうしなっていたのです。ええええ。事実ですとも事実ですとも……。
キチガイ地獄 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
いかに秘しても、信玄のは諸国に洩れた。機逸すべからずである。——上杉は急撃して来た。小田原の北条も態度がちがって来た。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もうその時が来たかのように、志保が色をうしなって考えこむのを見たお萱は、却ってうろたえたように急いでうち消した。
菊屋敷 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
天の将に斯の文をほろぼさんとするや、後死の者斯の文に与るを得ざるなり。天の未だ斯の文を喪さざるや、匡人其れわれを如何せんと。
論語物語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
初めてぐううしのうて鰥居無聊かんきょむりょうまたでて遊ばず、ただ門につて佇立ちょりつするのみ。十五こう尽きて遊人ゆうじんようやまれなり。丫鬟あかんを見る。
牡丹灯籠 牡丹灯記 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
佐兵衞夫婦は丁度生れたばかりの總領をくして、悲歎にくれて居る時だつたので、そのまゝ總領の乳母を留め置いて彌三郎を育てました。
さうした期間に亘つて、生魂イキミタマを身に固著フラしめようと、試みをくり返した。此期間が、漢風習合以前の日本式のであつたのである。
檀弓だんぐうに見えて居る通り、子上しじょうの母死してそうせずの条によれば、孔子こうしの御孫の子思子しししが妻を去られたことは分明である。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
「その間にお内儀がなくなった、——文三郎はそれを、お半の手に掛って毒害されたものと早合点して、寺へ手紙などを出したが、お内儀の死んだのは全くの病死だった」
長雨空のはてぎて、さすや忽ち薄日影
海潮音 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
両親の歿なくなつたのも、わたくしであれ、貴方であれ、かうして泣いて悲む者は、ここに居る二人きりで、世間に誰一人……さぞみんなが喜んでゐるだらうと思ふと、唯親をなくなしたのが情無なさけないばかりではないのですよ
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
旦那のえ後は、いわばお前さんがこの家の元締め、で、お前さんだけあ、手を下ろす前に耳に入れておきてえんだが、繩付きどころの騒ぎじゃねえぜ。
ここにそのみめ須世理毘賣すせりびめは、はふりもの一〇を持ちて哭きつつ來まし、その父の大神は、すでにせぬと思ほして、その野に出でたたしき。
カークをはじめ一人も声がなく、ほうけて死人のようになってしまった。
人外魔境:01 有尾人 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
悔悟すれども膺懲ようちょうの奇策なければ淪胥りんしょともほろぶるの外致し方なし。はたまた京師の一条も幕府最初の思い過ちにて、追々糺明きゅうめいあればさまで不軌ふきを謀りたる訳にこれ無く候えば、今また少しく悔ゆ。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
 ——王、太子(将軍の世子)ヲウシナウテ、後宮、マタ子ヲ産ムナシ。僧隆光、進言シテ云フ、人ノニ乏シキ者、ミナ生前多ク殺生ノムクイナリ。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
王(将軍綱吉のこと)先ニ太子(将軍の世子セイシ)ヲウシノウテ、後宮マタ子ヲ産ムナシ。護持院ノソウ隆光リユウコウ、進言シテ云ウ。人ノニ乏シキハ、生前ミナ、多ク殺生セツシヨウノ報イナリ。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)