交錯こうさく)” の例文
ああできたらさぞ好かろうという感じと、いくら年をとってもああはやりたくないという感じが、彼女の心にいつもの通り交錯こうさくした。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
一つの文字を長く見詰みつめている中に、いつしかその文字が解体して、意味の無い一つ一つの線の交錯こうさくとしか見えなくなって来る。
文字禍 (新字新仮名) / 中島敦(著)
見上げると、天井に交錯こうさくした丸太棒まるたんぼうの上を、さいぜんの笑い声のぬしが、一匹の黒猫くろねこのように、眼にも見えぬ早さで走っていた。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
その交錯こうさくした十字火の中に、彼女は微笑んではいっていった。矜持! そういった気持が動いた。自分の商品の価値を知ってる商人の誇だ。
操守 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
頑丈な棟木むねぎ交錯こうさくして、奇怪な空間を形作かたづくっている。と、十間ばかりの彼方に、まさしく俯臥せに倒れている屍骸が認められた。
電気風呂の怪死事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
(合唱につれて、背後の灰色の上下幕に様々な色彩の光が、異様な幻想風のイメージとなって交錯こうさくし、やがて一面にあざやかな緑が占領して行く)
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
たいていは、交錯こうさくしている枝をつたって、一本の木から、隣りの木へと渡って行くので、地面へ降りなくても、かなりの移動が出来るようである。
ウィネッカの秋 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
どこかにミールダアル城の昔時をしのばせるものが多分にあり、地下の通路はさながら迷路メエズのように交錯こうさくしている。
グリュックスブルグ王室異聞 (新字新仮名) / 橘外男(著)
栄転にはちがいないが、任地の南昌なんしょうへ行ってみると、ずっと文化は低いし、土地には、新任の太守に服さない勢力が交錯こうさくしているし——もっと困った問題は
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
朝倉先生は、みんなの緊張した視線の交錯こうさくの中でこたえた。わざとらしくない、おちついた答えだった。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
それでも時には、前の坊主山の頂きが白く曇りだして、羽毛のような雪片が互いに交錯こうさくするのを恐れるかのようにすじをなして、昼過ぎごろの空を斜めに吹下ろされた。……
贋物 (新字新仮名) / 葛西善蔵(著)
なるほど、小屋の隅々すみずみから、母親たちのき声が交錯こうさくし、授乳の時刻を告げている。それが、にんじんの耳には一律単調いちりつたんちょうであるが、仔羊にとってはどこかに違いがあるのだ。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
この病気特有の喜怒哀楽の感情が交錯こうさくして、持前もちまえの重吉らしくもない癇癪かんしゃくに青筋を立て、自分の言葉の通じないことよりも、実枝がそれを聞き分けてくれないことの方に腹を立てて
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
この二つのものは、まことに現代政治の交錯こうさくし背反する二大要因である。
政治学入門 (新字新仮名) / 矢部貞治(著)
その車は外を青「ペンキ」にて塗りたる木の箱にて、中に乗りし十二人の客はかたこし相触れて、膝は犬牙けんがのように交錯こうさくす。つくりつけの木の腰掛こしかけは、「フランケット」二枚敷きても膚を破らんとす。
みちの記 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
透明とうめい清澄せいちょうで黄金でまた青く幾億いくおくたがい交錯こうさくし光ってふるえて燃えました。
インドラの網 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
歩兵の列は平原のうちにうねり、狂うがごとく疾駆する騎兵の列は地平を過ぎる。心乱れたその瞑想めいそうの旅客は見る、サーベルのひらめきを、銃剣の火花を、破烈弾の火災を、雷電の驚くべき交錯こうさくを。
音楽が交錯こうさくして、聞こえて来る。五彩ごさいの照明の美しさ、それは建物を照らしているだけではなく、大空にも照りはえてにじの国へいったようだ。
海底都市 (新字新仮名) / 海野十三(著)
テントのすぐ下には、荒縄あらなわでくくった丸太棒まるたんぼうが縦横無尽に交錯こうさくしていた。その丸太棒の一本に、ポッツリとすずめのようにとまっている人の姿があった。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
おのずから誰が総指揮官かわからないような空気がかもされた。命令は二途どころでない。諸所の部将から発しられる。そして時には、その交錯こうさくから混乱が起ったりした。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
光の交錯こうさくは決して闇の原因にはならない。それどころか、それはあらゆる場所から闇を退散させる力なのだ。人間は、だから、それぞれの位置において真実であればいい。
次郎物語:04 第四部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
三には彼の真面目まじめさが疑がわれた。反抗、畏怖いふ、軽蔑、不審、馬鹿らしさ、嫌悪けんお、好奇心、——雑然として彼女の胸に交錯こうさくしたいろいろなものはけっして一点にまとまる事ができなかった。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そして姉妹にまで体裁ていさいを作らねばならない境遇の中で、気ばかりつかって暮しているカヤノに、同情と反感の交錯こうさくした気持で、背中をどやしつけてやりたいようなもだもだしたものを持たされた。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
彼はこの眼まぐるしい色彩の交錯こうさくに、頭もしびれ、眼もくらんで、もう恐怖を感じる力さえ失っていた。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
二つの真黒な怪球は、二条の赤い光を宙に交錯こうさくさせつつ、もつれあうようにクルクルと廻りだした。
○○獣 (新字新仮名) / 海野十三(著)
奥殿と中殿とのあいだを渡してある唐橋からはしらんに立って望むと、無数の舞扇を重ねたような天守閣の五層のひさしと、楼門の殿閣でんかく大廂おおびさしとは、見事な曲線をちゅう交錯こうさくさせている。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「運命」と「愛」と「永遠」との交錯こうさくの中に描こうとしているかぎり、私は、この半年ばかりの彼の生活についても、そう無造作に筆をはぶくわけにはいかなかったのである。
次郎物語:02 第二部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
やみと光りの交錯こうさくのなかで先生と奥さんは歌いかわしていた。
二十四の瞳 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
すると、通路の天井の交錯こうさくしたはりの上に、一人の男がひっかかって、長くのびているではないか。
三十年後の世界 (新字新仮名) / 海野十三(著)
威圧いあつされるような気持ちと、よりかかりたいような気持ちとがたえず交錯こうさくしていたのである。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
この無気味の因をなすものは、前にいったような、複雑極まる勢力と勢力の交錯こうさくにあるのであって、これは戦争が行われているときよりも、人間の心を悪くし、また疲らせた。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、星の光と草履の音との交錯こうさくする中を、默りこくって老人のあとについて歩いた。
次郎物語:01 第一部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
封をひらいて、読み下していた官兵衛のおもてには、驚きと、涙とが、交錯こうさくしていた。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
水平線が、きらきらと、交錯こうさくした水車の車軸のようにみえる。奇妙なことだ。
三重宙返りの記 (新字新仮名) / 海野十三(著)
派手はで模様のたもとや藤いろのつまのけだしやら花色の股引ぱっちやら、りの下駄だの紅緒べにお草履ぞうりだのが風にそそられて日傘の下にヒラヒラと交錯こうさくし、列にはさまれたかごちょう、一人の美女がのっている。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
不意に消魂けたたましい女の叫びが、如意輪寺裏の幽寂ゆうじゃくの梅林につんざいた。——もう散り際にあるもろ梅花うめは、それにおどろいたかのようにふんぷんと飛片ひへんを舞わせて、かぐわしい夕闇に白毫はくごうの光を交錯こうさくさせた。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たちまち鳴りはためいたいかずちが、かれの耳もとをつんざいた一せつな、下界げかいにあっては、ほとんどそうぞうもつかないような朱電しゅでんが、ピカッピカッと、まつげのさきを交錯こうさくしたかと思うまもあらばこそ。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)