“高辛氏”の読み方と例文
読み方 | 割合 |
---|---|
こうしんし | 100.0% |
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
“高辛氏(嚳)”の解説
嚳(こく)は、上古中国神話上の帝王。名は夋・[夒-巳]。辛に封じられ、高辛氏と称したと言われている。五帝の一人で、顓頊(せんぎょく)の後を継いで、帝位に就いた。摯・堯・后稷・契の父。
『史記』「五帝本紀』によれば、嚳の父は蟜極である。蟜極の父は、黄帝の子である玄囂(少昊)なので、嚳は黄帝の曾孫となる。また、嚳が生まれながらにして自分の名を言うことができ、聡明であったと記す。また嚳の徳の高さと世がよく治まった様子を様々な言葉で称える。娵訾氏の娘の常宜をめとって子に摯をもうけ、陳鋒氏の娘の慶都をめとって放勲(堯)をもうけた。彼らは嚳の死後に順に立って帝になった。
『三国史記』高句麗本紀第六や『三国史記』百済本紀第六によると、高句麗王たちは、中国黄帝の孫である高陽氏、中国黄帝の曾孫である高辛氏の子孫を称していた。
(出典:Wikipedia)
『史記』「五帝本紀』によれば、嚳の父は蟜極である。蟜極の父は、黄帝の子である玄囂(少昊)なので、嚳は黄帝の曾孫となる。また、嚳が生まれながらにして自分の名を言うことができ、聡明であったと記す。また嚳の徳の高さと世がよく治まった様子を様々な言葉で称える。娵訾氏の娘の常宜をめとって子に摯をもうけ、陳鋒氏の娘の慶都をめとって放勲(堯)をもうけた。彼らは嚳の死後に順に立って帝になった。
『三国史記』高句麗本紀第六や『三国史記』百済本紀第六によると、高句麗王たちは、中国黄帝の孫である高陽氏、中国黄帝の曾孫である高辛氏の子孫を称していた。
(出典:Wikipedia)