鄴都ぎょうと)” の例文
さっそく、鄴都ぎょうとには、魏王宮が造営された。ここにはすでに玄武池げんぶちがある。曹操の親衛隊は、ここで船術を練り、弓馬を調練していた。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鄴都ぎょうと後宮こうきゅうに一園を造らせ、多くの花木を移し植えて、常春とこはるの園ができあがった。……というので曹操は、一日その花園を見に出かけた。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大王が鄴都ぎょうとにとどまったのも天の定数です。許都の乱も約束事です。また私が大王に見出されて、予言申し上げたのも、おそらく天意でしたろう。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かくて魏は、次の若い曹丕そうひの世代に入った。曹丕は父の死の時、鄴都ぎょうとの城にいた。そしてやがて洛陽を出たの大列をここに迎えるの日、彼は哀号をあげて、それを城外の門に拝した。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その頃、魏王宮を中心とし、許都きょと鄴都ぎょうとの府は、異様な恐慌におののいていた。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まずそれを誘導するため、味方の勢を実は少しずつ——黎陽れいよう(河南省逡県東南)鄴都ぎょうと(河北省)酸棗さんそう(河南省)の三方面へ分け、いつわって、袁紹の本陣へ、各所から一挙に働く折をうかがうのです
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
烏巣、鄴都ぎょうとの地には、河北軍の生命をつなぐ穀倉がある。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)