豊後国ぶんごのくに)” の例文
旧字:豐後國
その邸は青山だというから、豊後国ぶんごのくに臼杵うすきの稲葉家で、当時の主公久通ひさみちに麻布土器町かわらけちょうの下屋敷へ招かれたのであろう。連中は男女交りであった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
豊後国ぶんごのくに東郡中村の人。弘化元年九月大阿闍梨だいあじゃりに同五年五月大僧都だいそうずに進み、文久元年十月より輪王寺の宮の昵近じっきんに加えられ清浄林院と号せられた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
九州の豊後国ぶんごのくに刑部卿三位頼資ぎょうぶきょうさんみよりすけの所領であるが、代官にはその子の頼経朝臣よりつねあそんがなっていた。この頼経のところへ京の父から急使がとどいた。父の手紙を開けてみると
この書は著者大島支郎おほしましらう氏、売る所は豊後国ぶんごのくに大分おほいたの本屋忠文堂ちうぶんだう(七月二十日)
雑筆 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)