解褐かいかつ)” の例文
霞亭解褐かいかつの年は、わたくしは岡本花亭の尺牘に本づいて辛巳となした。花亭は壬午九月四日に「去年福山侯の聘に応じ解褐候」と云つてゐる。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
わたくしは今藤陰解褐かいかつの事を記するに当つて、此問題を再検しようとおもふ。それは藤陰の孫国助さんが頃日このごろ其蔵儲の秘をひらいてわたくしに示したからである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
わたくしは此年天保癸卯に関藤藤陰が解褐かいかつしたことを記して、藤陰と関五郎との同異の問題を覆検した。そして二人の同一人物なる証拠を江木鰐水の日記中に獲た。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)