西郷従道さいごうつぐみち)” の例文
当時御成街道おなりかいどうを真正面から官兵を指揮して黒門口を攻撃したのは西郷従道さいごうつぐみちさんであったといいます。
西郷従道さいごうつぐみち目黒めぐろの大邸宅、大山巌おおやまいわおの青山穏田おんでんの大邸宅、海江田信義かいえだのぶよし渋谷しぶや桜丘台の大邸宅、芝三田の松方正義まつかたまさよしの山林のような大邸宅のごときは、じつに広大なものであったが
有栖川宮ありすがわのみや妃慰子殿下、新樹しんじゅつぼね、高倉典侍、現岩倉侯爵の祖母君、故西郷従道さいごうつぐみち侯の夫人、現前田侯爵母堂、近衛公爵の故母君、大隈おおくま侯爵夫人綾子、戸田伯爵夫人極子を数えることが出来る。
明治美人伝 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
当時の農商務卿西郷従道さいごうつぐみちあてに今一度この事件を提出することを思い立ち、「木曾谷山地官民有区別の儀につき嘆願書」なるものをふところにして、最初に上京したのは明治十五年の九月であった。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)