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芝基皇子
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しきのみこ
ふりがな文庫
“
芝基皇子
(
しきのみこ
)” の例文
乙酉
(
きのととり
)
、天皇皇后及び
草壁皇子尊
(
くさかべのみこのみこと
)
、
大津皇子
(
おほつのみこ
)
、
高市皇子
(
たけちのみこ
)
、
河島皇子
(
かはしまのみこ
)
、
忍壁皇子
(
おさかべのみこ
)
、
芝基皇子
(
しきのみこ
)
に
詔
(
みことのり
)
して
曰
(
のたまは
)
く、
朕
(
あ
)
れ今日
汝
(
なんぢ
)
等と
倶
(
とも
)
に
庭
(
おほば
)
に
盟
(
ちか
)
ひて、千歳の後に事無からむと
欲
(
ほり
)
す。
奈之何
(
いかに
)
。
大和古寺風物誌
(新字新仮名)
/
亀井勝一郎
(著)
“芝基皇子(
志貴皇子
)”の解説
磯城皇子
志貴皇子(しきのみこ、668年? - 716年9月1日〈霊亀2年8月11日〉)は、日本の飛鳥時代末期から奈良時代初期にかけての皇族。芝基皇子または施基皇子(親王)、志紀皇子とも記す。天智天皇第7皇子。位階は二品。
皇位とは無縁で文化人としての人生を送った。しかしその薨去から54年後に、息子の白壁王(第49代光仁天皇)が即位し、春日宮御宇天皇の追尊を受けることとなった。
今日の皇室は、志貴皇子の男系子孫にあたる。
(出典:Wikipedia)
芝
常用漢字
中学
部首:⾋
7画
基
常用漢字
小5
部首:⼟
11画
皇
常用漢字
小6
部首:⽩
9画
子
常用漢字
小1
部首:⼦
3画