経学けいがく)” の例文
允成ただしげは寧親の侍医で、津軽藩邸に催される月並つきなみ講釈の教官を兼ね、経学けいがくと医学とを藩の子弟に授けていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
勤倹兄に過ぎる位の男にて、経学けいがくに通じ能書のうしょなり、兵学を研究し西洋砲術を研究せり。しかし大の和流砲術熱心にて、和流は十分西洋流に敵するに足るといえり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
そもそも江戸時代の支那文学がやや明かに経学けいがくと詩文との研究を分つようになったのは、荻生徂徠おぎゅうそらいの門より太宰春台だざいしゅんだい服部南郭はっとりなんかくの二家を出してより後のことである。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
中にも五百には、経学けいがくなどをさえ、殆ど男子に授けると同じように授けたのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
一時多紀藍渓たきらんけい時代に百日課ひゃくにちかの制をいて、医学も経学けいがくも科を分って、百日を限って講じたことがある。今いうクルズスである。しかしそれも生徒にかせたのである。百日課は四年間でんだ。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)