石神井しゃくじい)” の例文
川越街道の追分おいわけを過ぎて疎林をくぐると、石神井しゃくじいの流れが麦畑と草原とを縫って、あたかも、水銀の液を流したようにのぞまれて来る。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
むしろ、檀君と石神井しゃくじい部落を計画して以来、私は自分の生活の健康維持ということについて、いちじるしく希望を持つようになっていた。
わが精神の周囲 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
震災後二年ばかりして、渋谷から石神井しゃくじい公園附近の大泉に転居した。標品を火災その他から護るためには、郊外の方が安全だと思ったからである。
関東で谷地やちという多くの村里は多分阿原と同類の地名である。東京の近くでは北豊島郡石神井しゃくじい村大字谷原やはら、新高野山があるために人がよく知っている。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
むかし石神井しゃくじい川といったその川は、今のように荒川平野へ流れて、荒川へ落ちずに、飛鳥山、道灌山、上野台の丘陵の西側を通って、海の入江に入った。その時には茫洋ぼうようとした大河であった。
河明り (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
石神井しゃくじい、三宝寺池。
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
また、石神井しゃくじい川へ墜ちた子や子守を、四度も救っていた。また、汚い物は人が寝ている間に、河原へ運んで焼いてくれるし、後はきれいに箒目ほうきめが立っていた。
下頭橋由来 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
西郊の三宝寺さんぽうじ池・石神井しゃくじい池のごときは、単に少し大きくかつ少し都会に近いために有名になったというに過ぎない。その微小なものはいたって多いのである。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
駒場・石神井しゃくじいの狩は猪を獲ることが多く、文政中の『嘉陵かりょう紀行』には荒川鉄橋の北の、今の川口町の辺に鹿の多いことを述べている。郊外は存外の荒野であったのである。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)