学名をガルシニア・マンゴスタナと云ふ果樹に生ずる。私が、初めてマンゴスチーンを見たのは、河内の町、プラチックに近い果物店であつた。
仏領印度支那の首都、河内の街はづれに、ぽつりと一軒の洋館が建つてゐて、「VILLA COTE D'AZUR」といふ門標がかかつてゐる。
又佛國に於ても佛領河内に於て、極東學院と云ふ名を附した學校があります、之は學校とは云ふが一つの研究所であります、學生は一人もありません
『印度支那と日本との関係』金永鍵(この人は仏印の河内、仏国東洋学院同本部の図書主任)。『支那家族研究』牧野巽 生活社版。この人は私は存じませんけれども、どういう人なのかしら。
ランビァンの素晴しいホテルや、別荘住ひが出来ないものにも、河内近くのタムダオや、ビンや、ナベの高原に仏蘭西人はりくぞくとやつて来てゐた。