紇の従者の江総という者が、その小供を隠匿して養育したが、至って敏捷活発で、鬼神の言ったとおり、後に文字を識り、書を著わして家名を揚げたのであった。
“江総”の解説
江 総(こう そう、519年 - 594年)は、南朝梁から隋にかけての政治家・文学者。字は総持。本貫は済陽郡考城県(現在の河南省商丘市民権県)。南朝の名門貴族の家に生まれ、梁・陳の高官を歴任し、南朝陳の後主の時期には尚書令となるが、後主の宴席にはべり詩文を作るのみで政務に励まず、南朝陳が隋に滅ぼされる原因を作った一人とされる。
なお初唐の三大家の一人の欧陽詢の出生を題材にした唐代の伝奇小説『補江総白猿伝』は、江総の『白猿伝』を補訂したものとされるが、後世の仮託であるとする見方が一般的である。
(出典:Wikipedia)
なお初唐の三大家の一人の欧陽詢の出生を題材にした唐代の伝奇小説『補江総白猿伝』は、江総の『白猿伝』を補訂したものとされるが、後世の仮託であるとする見方が一般的である。
(出典:Wikipedia)