橘諸兄たちばなのもろえ)” の例文
さっそく大仏の前に、皇后太子並に群臣百僚を率いておまいりになり、左大臣橘諸兄たちばなのもろえをして奏文を読ませたもうた。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
聖武天皇の天平てんぴょう十八年正月の日、白雪が積って数寸に至った。左大臣橘諸兄たちばなのもろえが大納言藤原豊成ふじわらのとよなり及び諸王諸臣をて、太上天皇おおきすめらみこと(元正天皇)の御所に参候して雪をはろうた。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
大仏鋳造時代の執政者橘諸兄たちばなのもろえの母である橘夫人は、後に藤原不比等ふじわらのふひとの妻として光明后を生んだ。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
橘諸兄たちばなのもろえと云ひ、大伴家持おほとものやかもちと云はれ、明確ではないが、長歌短歌およそ四千五百首、上は天皇より下は庶人に至るまで、あらゆる階級の人を含み、宮廷歌集であると共に、民謡集である点に於て
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
葛城王は、天武天皇の御代に一人居るし、また橘諸兄たちばなのもろえが皇族であった時の御名は葛城王であったから、そのいずれとも不明であるが、時代からいえば天武天皇の御代の方に傾くだろう。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)