極堂きょくどう)” の例文
明治三十年の一月に伊予の松山で柳原極堂きょくどう君の手によって俳諧雑誌が発刊された。それが実に我『ホトトギス』であった。
子規居士と余 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
九月八日 昨年松山正宗寺に於ける『ホトトギス』六百号記念会席上に、『ホトトギス』を創刊したる柳原極堂きょくどうもありし。同寺に建つる句碑の句を徴されて。
六百五十句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
折節松山中学校に教鞭きょうべんを取りつつあった夏目漱石氏の寓居に同居し、極堂きょくどう愛松あいしょう叟柳そうりゅう狸伴りはん霽月せいげつ不迷ふめい一宿いっしゅくらの松風会員諸君の日参して来るのを相手に句作にふけったのであったが
子規居士と余 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
私はその当時の実境を目撃したわけではないが、以前子規居士から聞いた話や、最近国へ帰って極堂きょくどう霽月せいげつらの諸君から聞いた話やを綜合して見ると、大体その時の模様の想像はつくのである。
漱石氏と私 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)