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桐野利秋
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きりのとしあき
ふりがな文庫
“
桐野利秋
(
きりのとしあき
)” の例文
中村半次郎は後の
桐野利秋
(
きりのとしあき
)
であります。この男が周囲にあるがゆえに、西郷の身辺に近づき難いということは、さもありそうなことです。
大菩薩峠:26 めいろの巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
熊本
(
くまもと
)
の暴動となり、かつては維新の大業をめがけて進んだ
桐野利秋
(
きりのとしあき
)
らのごとき人物が自ら参加した維新に反して、さらに新政の旗をあげ
夜明け前:04 第二部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
桐野利秋
(
きりのとしあき
)
に囲われた妾とか、乃木将軍にツリ銭を
貰
(
もろ
)
うた
草鞋
(
わらじ
)
売りとか、喋々すると同様、卑劣めいた咄だ。
十二支考:09 犬に関する伝説
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
陸軍少将
桐野利秋
(
きりのとしあき
)
、陸軍少将
篠原国幹
(
しのはらくにとも
)
、および旧兵隊の者をしたがえて行きますから、その鎮台下を通行のときには、兵隊を整列して、指揮を受けられるよう、此段照会におよびます。
天皇:誰が日本民族の主人であるか
(新字新仮名)
/
蜷川新
(著)
途上、四番大隊長の
桐野利秋
(
きりのとしあき
)
に出会うと、利秋も
日本名婦伝:谷干城夫人
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
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近衛兵の年限も定まって一般徴兵の制による事と決してからは、長州以外の二藩の兵は非常に不快の念を
抱
(
いだ
)
いた。ことに徴兵主義に最も不満なものは
桐野利秋
(
きりのとしあき
)
であったという。
夜明け前:04 第二部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
“桐野利秋”の解説
桐野 利秋(きりの としあき、天保9年12月2日(1839年1月16日) - 明治10年(1877年)9月24日)は、日本の武士(薩摩藩士)、陸軍軍人。諱は利秋、通称は半次郎、桐野に復姓後は信作(晋作、新作)。初め中村 半次郎(なかむら はんじろう)と称した。
桐野利秋の書と伝えられる掛け軸など複数に、「鴨溟(瞑)」という雅号が記されている。
(出典:Wikipedia)
桐
漢検準1級
部首:⽊
10画
野
常用漢字
小2
部首:⾥
11画
利
常用漢字
小4
部首:⼑
7画
秋
常用漢字
小2
部首:⽲
9画
“桐野”で始まる語句
桐野
桐野様