柔術やはら)” の例文
「不斷やつとうの心得があるとか、柔術やはらがいけるとか、腕自慢ばかりしてゐた彌惣だが、石の唐櫃に首を挾まれちや一とたまりもないね」
文章を書くとふよりは柔術やはらを取りさうな恰好かつかうで、其頃そのころ水蔭亭主人すゐいんていしゆじん名宣なのつてました
硯友社の沿革 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
草角力くさずまふの大關で、柔術やはら、劍術一と通りの心得はあると言ふ觸れ込みでやとはれた力松が、刄物を持つて居るのですから、これは寄易よういならぬことでした。
安宅あたかの辨吉、小人こびと三次郎などはどうでせう。辨吉は小太刀をよく使ふさうで、仲間では評判の腕きゝですよ。小人三次郎は橋場の家に弟子を取つて、柔術やはらの稽古を
娘の頃江戸のお屋敷で長刀なぎなたの一と手、柔術やはらから小太刀まで教はり、家中でも評判の腕前だつたつてね。
あの雪駄直しは、山谷の巳之松みのまつといふ男さ。わけがあつて自分から身を落してあんなことをして居るんだとよ、わけても柔術やはらは名人ださうで、お前のやうな間延まのびのした人間を
高いところから首を吊るなら別だが、手で首を締めると、氣がポーツとした時手をゆるめるから、どうしても死なずに生き還る、これは柔術やはらの先生かお醫者に訊けばわかることだ
「唇の傷は猿轡さるぐつわのせゐだが、紐の跡が無くて喉佛がやられてるのは、柔術やはらの絞め手だ」
先生は若い時柔術やはらをやつたのが自慢で、喉佛がかなり固くなつてゐた筈だ
その時はもう、金兵衞蟲の息も通つて居なかつたが、柔術やはらの方で、落ちた人間の手當を心得てゐる椿三千麿が、背を割つて活を入れ、顏へ水をブツ掛けると、宜いあんべえに金兵衞は息を吹返しました
「あれは若い時柔術やはらで足を折つて、それがこじれた跛者ださうで」
「これが手代の喜三郎で、少し柔術やはらの心得があります」