於菟おと)” の例文
わが国で寅年に生れた男女に於菟おとという名を付ける例がしばしばある、その由来は『左伝』に楚の若敖じゃくごううんより妻を娶り闘伯比を生む
森の祖母が八十八で亡くなったのは明治三十九年七月で、ちょうど於菟おとさんと、宅の長男と、二人の曾孫が高等学校へ入学した時でした。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
されど彼女にわざわいを及ぼさんは本意なしと思いければ、石塚重平氏にたくして彼に勉学をすすめさせ、また於菟おと女史に書を送りて今回の渡航を告げ、後事こうじを托し、これにて思い残す事なしと
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
或時紺飛白こんがすり筒袖つつそでの著物の縫いかけが、お嫂様のお部屋にあったのを見かけました。於菟おとさんの不断著ふだんぎを縫って見ようとなすったのです。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
我が国の女子にして新聞社員たりしは、実に於菟おと女史を以て嚆矢こうしとすべし。かくて女史は給料の余りを以て同志の婦女を助け、共に坂崎氏の家に同居して学事につとめしめ、自ら訓導の任に当りぬ。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
『多紀氏の事蹟』もまた昭和八年に出版せられましたが、その年の暮にはまた於菟おとさんと共に、『鴎外遺珠と思ひ出』という書物を公にしました。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
六 於菟おと女史
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)