握玩あくがん)” の例文
二十二歳、建暦けんりゃく三年十一月、定家は家重代の宝であった『万葉集』を献じたので、実朝は非常に喜んで、握玩あくがんかなかったことが『吾妻鏡あずまかがみ』に見えている。そして十二月に『金槐集きんかいしゅう』が出来た。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)