忽必烈フビライ)” の例文
友の話によると、船はほとんど朝鮮馬山で造ったので、不完全なものだったそうであるが、かく忽必烈フビライが日本の気象に通じていなかったことは有難いことであった。
雑記 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
げん忽必烈フビライが数度の使節を派遣し、これに次ぐに数十万の軍兵を以てしたのは、あながち彼の功名心から出たのでなく、また蓬莱を求めて神仙に会せんと望んだのであろう。
日本の文明 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
其河へ來た所が其頃まだ子供であつた世祖忽必烈フビライと其弟で後にペルシアの王樣になりました旭烈兀フラグが祖父の成吉思汗を迎に參つたが、其の時世祖は十一歳、旭烈兀は八歳と思ひますが
元時代の蒙古人 (旧字旧仮名) / 桑原隲蔵(著)
ラマ教は中世に旧教(紅教)と新教に分れたが、元代に蒙古王の忽必烈フビライがラマ新教に帰依し、パスパという僧に西蔵の統治を委任したのがはじまりで、代々の貫主が枢機にあずかっていた。
新西遊記 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
元宗の子の忠烈王は早く蒙古に質となり、殊に元の世祖忽必烈フビライの女、忽都魯掲里迷失クツルガイミシ(Khutlgaimish)公主をその妃に迎へた關係から、早く辮髮・胡服して得意滿面であつた(17)。
支那人弁髪の歴史 (旧字旧仮名) / 桑原隲蔵(著)