廻符かいふ)” の例文
すなわち柴桑さいそう周瑜しゅうゆと、呉の孫権の廻符かいふはもう八方に行きわたっていた。水路も陸路も、往来には木戸のあらためが厳重を極め、要所には徐盛、丁奉の部下三千が遮断していた。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)