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尾張藩
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おわりはん
ふりがな文庫
“
尾張藩
(
おわりはん
)” の例文
それは木曾谷中を支配する
地方
(
じかた
)
御役所よりの通知で、
尾張藩
(
おわりはん
)
からの厳命に余儀なくこんな通知を送るとの
苦
(
にが
)
い心持ちが言外に含まれていないでもない。
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
ちょうど半蔵の父、
吉左衛門
(
きちざえもん
)
は
尾張藩
(
おわりはん
)
から
御勝手
(
おかって
)
仕法立ての件を頼まれて、名古屋出張中の留守の時であった。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
わずかに
尾張藩
(
おわりはん
)
の山奉行が村民らの
背伐
(
せぎ
)
りを監視するため、奥筋から順に村々を回って来たに過ぎなかった。
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
福島勘定所の奉行を迎えるとか、木曾山一帯を支配する
尾張藩
(
おわりはん
)
の材木方を迎えるとかいう日になると、ただの送り迎えや継立てだけではなかなか済まされなかった。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
当時の木曾山一帯を支配するものは
尾張藩
(
おわりはん
)
で、
巣山
(
すやま
)
、
留山
(
とめやま
)
、
明山
(
あきやま
)
の区域を設け、そのうち明山のみは自由林であっても、許可なしに村民が五木を伐採することは禁じられてあった。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
“尾張藩”の解説
尾張藩(おわりはん)は、尾張一国(愛知県西部)と美濃、三河及び信濃(木曽の山林)の各一部を治めた親藩。徳川御三家中の筆頭格であり、諸大名の中で最高の格式(家格)を有した。尾張国名古屋城(愛知県名古屋市)に居城したので、「名古屋藩」とも呼ばれた。明治の初めには名古屋藩を正式名称と定めた。藩主は尾張徳川家。表石高は61万9500石。
(出典:Wikipedia)
尾
常用漢字
中学
部首:⼫
7画
張
常用漢字
小5
部首:⼸
11画
藩
常用漢字
中学
部首:⾋
18画
“尾張”で始まる語句
尾張
尾張町
尾張国
尾張守
尾張屋
尾張線
尾張連
尾張義通
尾張慶勝
尾張濱主