“尼将軍”の読み方と例文
読み方 | 割合 |
---|---|
あましょうぐん | 100.0% |
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
“尼将軍(北条政子)”の解説
北条 政子(ほうじょう まさこ、平政子(たいらの まさこ)、保元2年(1157年) - 嘉禄元年7月11日(1225年8月16日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の女性。「北条政子」とは江戸時代(1603 - 1867)以後に名付けられた呼称であり、鎌倉幕府樹立以前はそもそも彼女に対する呼称が無かった。結婚前の頼朝は伊豆の流人だったため、周囲の反対を押し切って妻になっている。源頼朝が鎌倉幕府を樹立させると、「御台所」(吾妻鏡)という尊称が付けられた。夫の死後に落飾すると、尼御台所(あまみだいどころ)や尼御台(あまみだい)と呼ばれた。。頼朝亡きあと征夷大将軍となった頼家、実朝が相次いで暗殺された後は、鎌倉殿として京から招いた幼い三寅(後の藤原頼経)の後見となって、北条家が幕府の実権を握ると、世に尼将軍(あましょうぐん)と称された。法名は安養院(あんにょういん)。
(出典:Wikipedia)
(出典:Wikipedia)