富士見町ふじみちょう)” の例文
明治二十四年二月、富士見町ふじみちょうの玉子屋の小僧が懸け取りに行った帰りに、ここで二人の賊に絞め殺された事件などは、新聞の三面記事として有名であった。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
その夜唖々子が運出はこびだした『通鑑綱目』五十幾巻は、わたしも共に手伝って、富士見町ふじみちょうの大通から左へと一番町へ曲る角から二、三軒目に、篠田という軒燈けんとうを出した質屋の店先へかつぎ込まれた。
梅雨晴 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
富士見町ふじみちょうの裁判所の横手の、今は暁星ぎょうせい中学校の構内に囲込かこいこまれた処に住んでいたから、中坂というは少し無理だが、馬琴がしばしば飯台蓑笠漁隠さりゅうぎょいんと称した如くに飯台をいただく因縁は持っていたのだ。
久しく一緒に住んで共に私娼ししょうをしていた京子という女が、いよいよ小石川こいしかわ諏訪町すわちょうの家をたたんで富士見町ふじみちょうの芸者家に住込む事になったので、泣きの涙で別れ、独り市ヶ谷本村町ほんむらちょうの貸二階へ引移り
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
富士見町ふじみちょう待合まちあい野田家のだやの門口へ自動車を乗りつけた三人づれ
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)