宇合うまかい)” の例文
天平てんぴょう四年八月、藤原宇合うまかい(不比等の子)が西海道節度使さいかいどうのせつどし(兵馬の政をつかさどる)になって赴任する時、高橋虫麿たかはしのむしまろの詠んだものである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
各々家をたて、武智麻呂むちまろを南家、房前ふささきを北家、宇合うまかいを式家、麻呂を京家と称し、各々枢機に参じてゐた。
道鏡 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
藤原宇合うまかい(藤原不比等第三子)が常陸守になって任地に数年いたが、任果てて京に帰る時、(養老七年頃か)常陸娘子ひたちのおとめが贈った歌である。娘子は遊行女婦うかれめのたぐいであろう。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
「藤原宿奈麿すくなまろ朝臣の妻、石川女郎いらつめ愛薄らぎ離別せられ、悲しみうらみて作れる歌年月いまだつまびらかならず」という左注のある歌である。宿奈麿は宇合うまかいの第二子、後内大臣まで進んだ。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)