それに今度文学座のアトリエ公演でこの、たしか第三作である「城館」を観て、この作者もいよいよこんなものを書きだしたな、と思つた。
城館のなかには、まだ不安な手さぐりもあるし、効果の誤算もあるらしい。しかし、一番大事な「劇的な時間」の流れを、瞬間々々のイメージが背負っている。
矢代静一君の城館をみて、私は非常に新鮮なものと、極めてゆたかな才能の開花のようなものを認めた。
今度の「城館」は、非常に新鮮で彼の豊かな才能の開花がはじめて告げ知らされたやうな気がした。
標題の「城館」をなぜ「城」としてはいけないのかも、私にはわからぬ。フランス語の「château」の語感を日本語で出したつもりであらうが、とんでもないことだ。