垂仁すいにん)” の例文
そのかみ垂仁すいにん天皇の七年に、はじめて野見のみの宿禰すくね当麻たいまの蹴速けはやとがこの国技を用いて以来、古今を通じて歴史的に最も相撲道が全盛をきわめた時代でありました。
『日本紀』の崇神すじん垂仁すいにんの御朝の記事などに、韓人かんじんに命じて某々ぼうぼうの池を築かしめられたことが見える。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
その他項羽のすい呂布りょふの赤兎、張飛の玉追、遠顗の飛燕、梁武帝の照殿玉獅子等、なお多かるべし。本邦には「垂仁すいにん紀」に足往あゆきてふ名の犬見ゆるに、名馬に特号あるを見ず。
第十一代の天皇垂仁すいにんの時代には、皇后の兄にあたる狭穂彦さほひこが反乱をおこしている。この狭穂彦は、妹の皇后を説いて、反逆をおこさせようと企てた。皇后は、これをこっそり天皇に告げた。