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垂仁
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すいにん
ふりがな文庫
“
垂仁
(
すいにん
)” の例文
そのかみ
垂仁
(
すいにん
)
天皇の七年に、はじめて
野見
(
のみの
)
宿禰
(
すくね
)
と
当麻
(
たいまの
)
蹴速
(
けはや
)
とがこの国技を用いて以来、古今を通じて歴史的に最も相撲道が全盛をきわめた時代でありました。
右門捕物帖:12 毒色のくちびる
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
『日本紀』の
崇神
(
すじん
)
・
垂仁
(
すいにん
)
の御朝の記事などに、
韓人
(
かんじん
)
に命じて
某々
(
ぼうぼう
)
の池を築かしめられたことが見える。
海上の道
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
その他項羽の
騅
(
すい
)
、
呂布
(
りょふ
)
の赤兎、張飛の玉追、遠顗の飛燕、梁武帝の照殿玉獅子等、なお多かるべし。本邦には「
垂仁
(
すいにん
)
紀」に
足往
(
あゆき
)
てふ名の犬見ゆるに、名馬に特号あるを見ず。
十二支考:05 馬に関する民俗と伝説
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
第十一代の天皇
垂仁
(
すいにん
)
の時代には、皇后の兄にあたる
狭穂彦
(
さほひこ
)
が反乱をおこしている。この狭穂彦は、妹の皇后を説いて、反逆をおこさせようと企てた。皇后は、これをこっそり天皇に告げた。
天皇:誰が日本民族の主人であるか
(新字新仮名)
/
蜷川新
(著)
“垂仁(
垂仁天皇
)”の解説
垂仁天皇(すいにんてんのう、崇神天皇29年1月1日 - 垂仁天皇99年7月1日)は、日本の第11代天皇(在位:垂仁天皇元年1月2日 - 垂仁天皇99年7月1日)。『日本書紀』での名は活目入彦五十狭茅天皇。治世には様々な起源伝承が語られる。先代の崇神天皇、次代の景行天皇と共に纒向遺跡付近に都したと伝えられる天皇の一人であり、考古学上、実在したとすれば3世紀後半から4世紀前半ごろの大王と推定されるが、定かではない。
(出典:Wikipedia)
垂
常用漢字
小6
部首:⼟
8画
仁
常用漢字
小6
部首:⼈
4画
“垂仁”で始まる語句
垂仁天皇
垂仁朝
垂仁紀