地下ぢげ)” の例文
講日には公卿方出座にて、講師菅家・清家および地下ぢげの儒者あひ混ずるなり。しからばこの基によりて、さらに斟酌を加へば幾等も妙策あるべし。
留魂録 (新字旧仮名) / 吉田松陰(著)
それあの山部の何とか言つた地下ぢげびとの歌よみが、「昔見し池の堤は年深み……」と言つた位だが、其後は、これ此様に四流にも岐れて栄えてゐる。
死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
公卿殿上人の歌風が定つて来た平安初期から、そろ/\地下ぢげ・民間でも、民謡以上に、創作欲が出て来て、前期王朝の宮廷詞人の様に、地下階級の吏民にも、歌人が現れて来た。
炉を焚くことの少い此地方では、地下ぢげの百姓は夜は真暗な中で、寝たり坐つたりしてゐるのだ。でもこゝには、本尊が祀つてあつた。夜を守つて、仏の前で起き明す為には、御燈みあかしを照した。
死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)