右兵衛佐うひょうえのすけ)” の例文
旧字:右兵衞佐
けれど、右兵衛佐うひょうえのすけ頼朝のすがたは、ついに、朝までも見出すことができなかった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
右兵衛佐うひょうえのすけ殿(斯波義敏しばよしとし)の御曹子おんぞうしで、そののち長禄の三年に、義政公の御輔導役伊勢いせ殿(貞親さだちか)の、奥方の縁故にかされての邪曲よこしまなお計らいがもとで父君が廃黜はいちゅつき目にお遇いなされた折り
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
郎党では金王丸こんのうまる鎌田兵衛正清かまたのひょうえまさきよ平賀義信ひらがよしのぶなどであったが、このうちにいたはずの義朝の三男で、ことし十三歳になる右兵衛佐うひょうえのすけ頼朝のすがたが、いつのまにか見失われてしまったのであった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
右兵衛佐うひょうえのすけ殿(斯波義敏しばよしとし)の御曹子おんぞうしで、そののち長禄の三年に、義政公の御輔導役伊勢いせ殿(貞親さだちか)の、奥方の縁故にかされての邪曲よこしまなお計らひがもとで父君が廃黜はいちゅつき目にお遇ひなされた折り
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
「義朝の子、右兵衛佐うひょうえのすけですが、父君はおわすでしょうか」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)