トップ
>
古川節蔵
>
ふるかわせつぞう
ふりがな文庫
“
古川節蔵
(
ふるかわせつぞう
)” の例文
古川節蔵脱走
夫
(
そ
)
れから
古川節蔵
(
ふるかわせつぞう
)
は長崎丸と云う船の艦長であったが、
榎本釜次郎
(
えのもとかまじろう
)
よりも先駈けして脱走すると云うので、私にその事を話した。
福翁自伝:02 福翁自伝
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
江戸に行きたければ連れて行くが
如何
(
どう
)
だ、実は
斯
(
こ
)
う
云
(
い
)
う
訳
(
わ
)
けで金はあるぞと云うと、即席にどうぞ連れて
行
(
いっ
)
て
呉
(
く
)
れと
云
(
いっ
)
たが
岡本周吉
(
おかもとしゅうきち
)
、
即
(
すなわ
)
ち
古川節蔵
(
ふるかわせつぞう
)
である(広島の人)。
福翁自伝:02 福翁自伝
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
好
(
よ
)
し
乃公
(
おれ
)
が一人で引受けて
遣
(
や
)
ると云う心が頭に浮んで来て、加うるに私は
古川節蔵
(
ふるかわせつぞう
)
の一件で糺問所の様子を知て居るから、スグ江連の方へ返辞を出し、榎本は今糺問所に
這入
(
はいっ
)
て居る
福翁自伝:02 福翁自伝
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
“古川節蔵(古川正雄)”の解説
古川 正雄(ふるかわ まさお、1837年4月8日(天保8年3月4日) - 1877年(明治10年)4月2日)は明治時代の日本の教育者。福澤諭吉の弟子として、日本の近代教育の礎を築いた教育者の一人。慶應義塾初代塾長。また幕末には軍艦頭並として95名を引き連れ榎本軍に加わり戊辰戦争を戦った。旧名を古川節蔵、岡本節蔵、岡本周吉といい、岡本博卿の筆名でも知られる。
(出典:Wikipedia)
古
常用漢字
小2
部首:⼝
5画
川
常用漢字
小1
部首:⼮
3画
節
常用漢字
小4
部首:⽵
13画
蔵
常用漢字
小6
部首:⾋
15画
“古川”で始まる語句
古川
古川橋
古川柳
古川緑波
古川町
古川端
古川老
古川松根翁