劉焉りゅうえん)” の例文
蜀の劉璋りゅうしょうは漢の魯恭王ろきょうおうが後胤といわれ、父劉焉りゅうえんが封を継いでいたが、その家門と国の無事に馴れて、いわゆる遊惰脆弱ゆうだぜいじゃくな暗君だった。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
太守たいしゅ劉焉りゅうえん、遂に、子民の泣哭きゅうこくに奮って討伐の天鼓を鳴らさんとす。故に、隠れたる草廬そうろの君子、野にひそむの義人、旗下に参ぜよ。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大将玄徳に会ってみるとまだ年も二十歳台はたちだいの青年であるが、寡言沈厚かげんちんこうのうちに、どこか大器の風さえうかがえるので、太守劉焉りゅうえんは、大いに好遇に努めた。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それより前に、関羽は、玄徳の書をたずさえて、幽州涿郡ゆうしゅうたくぐん(河北省・涿県)の大守劉焉りゅうえんのもとへ使いしていた。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)