“まさたか”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
正隆16.7%
正学16.7%
政孝16.7%
方高16.7%
正陟16.7%
正高16.7%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
二陣に和田五郎正隆まさたか同苗どうみょう助康、八木ノ入道法達ほうたつ、神宮寺正師まさもろなどの——いくさの駈引きにも騎馬戦にも屈指くっしな者をすえていた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
正隆まさたか、正遠、正光らもおるな。いっしはしたが、尊氏もきもにこたえたはず、直義とて同様。このうえは雑軍ぞうぐん端武者はむしゃの手を待って死ぬはおろか」
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
書中には又阿部正学まさたかの東京に来た事がある。正学、通称は直之丞、これと日夕往来した棠軒は、其日記に「直吉」と書してゐる。是は維新後の称である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
阿部正学まさたか公も御出府之処、其節正桓まさたけ公に随従して、日光へ参詣いたし候故、遂に不得相見、残念至極に奉存候。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
「では、茶は参らせぬことにする。源右げんえどの、政孝まさたかどの。折り入って、おはなしとは」
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
本庄喜助重正しげまさ、伊藤太左衛門方高まさたか、右田因幡統安いなばむねやす、野田喜兵衛重綱しげつな、津崎五助長季ながすえ、小林理右衛門行秀ゆきひで、林与左衛門正定まささだ、宮永勝左衛門宗佑むねすけの人々である。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
彼はその二男として育ったが、実は藩主のとのかみ戸沢正陟まさたかの庶子で、生れるとすぐ楢岡兵庫の手にわたされ、その二男として成長したのである。
野分 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
和田正遠まさとお正高まさたか兄弟
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)