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ひでとき
ふりがな文庫
“ひでとき”の漢字の書き方と例文
語句
割合
英時
100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
英時
(逆引き)
など、ほとんどが菊池、
阿蘇
(
あそ
)
の協同者だった。そして
英時
(
ひでとき
)
を
屠
(
ほふ
)
ったのだ。——それらすべてが尊氏には
義兄
(
あに
)
の
仇
(
あだ
)
といえなくもない。
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
九州に於ては、
菊池武時
(
きくちたけとき
)
が、探題北條
英時
(
ひでとき
)
を襲つて、九州に於ける勤皇の第一声を挙げた。
二千六百年史抄
(新字旧仮名)
/
菊池寛
(著)
その
胚子
(
たね
)
は、すでにこの地で亡んでしまっている
前
(
さき
)
の九州探題北条
英時
(
ひでとき
)
が
蒔
(
ま
)
いておいた徳望だった。
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
九州探題の北条
修理亮
(
しゅりのすけ
)
英時
(
ひでとき
)
は、伯耆から次々と入ってくる船上山の情報を手にするたび
私本太平記:06 八荒帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「鎌倉最後の探題、赤橋
修理
(
しゅり
)
ノ
亮
(
すけ
)
英時
(
ひでとき
)
(北条英時)どのが御自害の地はここだったな」
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
このときの九州探題は、さきにもいったが、北条
修理亮
(
しゅりのすけ
)
英時
(
ひでとき
)
といった。
私本太平記:06 八荒帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
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