“はつせべ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
長谷部66.7%
泊瀬部33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
生みませる御子、馬木うまきの王、次に葛城の王、次に間人はしひと穴太部あなほべの王、次に三枝部さきくさべの穴太部の王、またの名は須賣伊呂杼すめいろど、次に長谷部はつせべ若雀わかさざきの命五柱。
長谷部はつせべ若雀わかさざきの天皇倉椅くらはし柴垣しばかきの宮にましまして、四歳よとせ天の下治らしめしき。(壬子の年十一月十三日崩りたまひき。)御陵は倉椅くらはしの岡の上にあり。
そこでシラガの太子の御名の記念として白髮部しらがべをお定めになり、また長谷部はつせべの舍人、河瀬の舍人をお定めになりました。この御世に大陸から呉人くれびとが渡つて參りました。
かれ白髮の太子みこのみこと御名代みなしろとして、白髮部しらがべを定め、また長谷部はつせべ舍人とねりを定め、また河瀬の舍人を定めたまひき。この時に呉人くれびとまゐ渡り來つ。その呉人を呉原くれはらに置きたまひき。
この歌は、川島かわしま皇子がこうぜられた時、柿本人麿が泊瀬部はつせべ皇女と忍坂部おさかべ皇子とにたてまつった歌である。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)