“はちのへ”の漢字の書き方と例文
語句割合
八戸100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
青森県上北郡三沢村、石場寅次郎の母は、同県八戸はちのへ町石場亀吉の母とともに、写真師を招き相並びて撮影せしに、不思議なるかな、二人の姿の間にありありと現れたる姿あり。
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
また陸奥国むつのくに八戸はちのへの城主南部なんぶ遠江守とうとうみのかみ信順のぶゆきと越前国鯖江さばえの城主間部まなべ下総守詮勝あきかつとから五人扶持ずつの俸を受けていた。しかし躋寿館においても、家塾においても、大抵養子竹逕ちくけいが代講をしていたのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
八戸はちのへの生れだが、恐山に修行していた」
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)