“のりさだ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
範貞66.7%
教定33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
現在、都の探題職には、北ノ六波羅に北条範貞のりさだ、南ノ庁には北条維貞これさだがつめていた。飛札ひさつは、その南北探題の連名である。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「今は急速に兵を挙げ、一挙に六波羅を討伐し、探題北条範貞のりさだを誅し、宮方の堅き決心のほどを、あめが下に知らしめますること、何より肝要かと存ぜられまする」
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
この時の探題は北条範貞のりさだで、いま甲胄かっちゅうに身を固め、侍所さむらいどころの奥に控えていた。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
雅経の子教定のりさだの女は為氏の妻、教定の男雅有まさありは為家の門人、雅世の父雅縁まさよりは両統合体後の歌壇に少しは認められた歌人、ことに雅世の子雅親まさちかは正二位権大納言に昇り
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
まず飛鳥井あすかいであるが、これは定家の門弟飛鳥井雅経まさつねにはじまって、教定のりさだ雅有まさありと来、雅有は『隣女和歌集りんじょわかしゅう』(『群書類従』和歌部)を残し、『嵯峨の通ひ路』を書いて
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)