“さいかちざか”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
皀莢坂40.0%
皀莢阪20.0%
皀角坂20.0%
皁莢坂20.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
小野治郎右衛門じろうえもんが手塩にかけた門下中でも、前記の亀井、根来、伊藤などと共に、皀莢坂さいかちざか驍将ぎょうしょうといわれている一人でもあるし、——小次郎がどんじき屋の障子に不遜ふそんな文句を書いて
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
東京に還って後毅堂は暫く職に就くことなく唯滞京すべき命を受けて水道橋内なる皀莢阪さいかちざか下の家に留っていた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
この時もまた家族を伴わず長男文豹と二、三の門人を従えて東京に来り、駿河台するがだい皀莢阪さいかちざか下の官舎に入った。皀莢阪は駿河台の西端より水道橋の方に下る阪である。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
神田お茶の水の昌平坂しょうへいざか駿河台するがだい岩崎邸門前いわさきていもんぜんの坂と同じく万世橋まんせいばしを眼の下に神田川かんだがわを眺むるによろしく、皀角坂さいかちざか(水道橋内駿河台西方)は牛込麹町の高台並びに富嶽ふがくを望ましめ
二度目に美妙をおとのうたのは駿河台するがだいの自宅であった。水道橋すいどうばし内の皁莢坂さいかちざかを駿河台へ登り切った堤際どてきわの、その頃坊城伯爵がすまっていた旗本はたもと屋敷の長屋であった。
美妙斎美妙 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)