“こうづきじょう”の漢字の書き方と例文
語句割合
上月城100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
頻々ひんぴん、後詰の催促を発しながら、一面には、備前随一の勇名ある真壁治次まかべはるつぐに、手兵八百をさずけて、上月城こうづきじょうを奪回することに成功し
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鳥取城や上月城こうづきじょうで、てがらをあらわしたことも聞えている。将来ある若武者、よい骨がらである。などと多少おだて気味な声も当人の耳にはいっている。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
上月城こうづきじょう三木城みきじょう、その他、各地の転戦苦闘は言語に絶えるものがあった。戦いの困苦や危険のほか、主将としての精神的苦境にも幾たびとなくった。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
上月城こうづきじょうを攻めたときなども、村重は前線にありながら、一方の山に陣したきり、戦機が熟して来ても秀吉から命令があっても、拱手きょうしゅして戦わなかったことなどもある。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
宗治の命一つが、双方の面目問題にかかって、和議もさッぱりらちあかぬようだが、顧みるに、天正六年播州ばんしゅうの序戦で、わが軍は作戦上ぜひなく、尼子勝久あまこかつひさ山中鹿之介やまなかしかのすけたちの上月城こうづきじょうを打ち捨てた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
容易には出て来ない毛利軍が輝元てるもとを始め、吉川きっかわ小早川こばやかわ、その他の宿老まで、大兵を挙げて、一上月城こうづきじょうや三木城の後詰うしろまきに上って来たことは、これこそ天の与え給う絶対な機会ではござりませぬか。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)