“おばたのぶさだ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
小幡信定50.0%
小幡信貞50.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
強い甲軍のうちでも強いと音に聞えている山県やまがた隊、内藤隊、小山田隊。なお内藤昌豊まさとよ小幡信定おばたのぶさだなどの旗じるしも見えた。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『観瀾集』に、〈大石家馬角一枚を蔵す、伝えていわく上総介かずさのすけ小幡信定おばたのぶさだ(武田家の勇士)乗れる馬生ずるところ云々〉。
それかあらぬか、今朝から城内へ通った人々では、一族の孫六入道逍遥軒まごろくにゅうどうしょうようけんをはじめ、穴山梅雪あなやまばいせつ仁科信盛にしなのぶもり、山県三郎兵衛昌景まさかげ、内藤修理しゅり昌豊まさとよ小幡信定おばたのぶさだ、小山田備中守などの譜代などがあった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
清井田からやや南寄りの小高い丘には、小幡信貞おばたのぶさだ、信秀その他が、遊撃隊として、戦場の一帯をております。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これに対して武田勢は、先陣に小山田信茂おやまだのぶしげ山県昌景やまがたまさかげ内藤昌豊ないとうまさとよ小幡信貞おばたのぶさだら。だい二陣に馬場信春ばばのぶはる、武田勝頼かつよりら。信玄の本隊はその後づめとなり、魚鱗ぎょりんの陣形をもって南下しきたった。
死処 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)