“おばたとくじろう”の漢字の書き方と例文
語句割合
小幡篤次郎100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
ついては江戸に留学して居る学生、小幡篤次郎おばたとくじろうを始め十人も居ました、ソレを出兵の御用だから帰れと云て呼還よびかえしに来たその時にも、私は不承知だ。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
当時慶応義塾の卒業生は世人の争ってへいせんと欲する所で、その世話をする人はおも小幡篤次郎おばたとくじろうであった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
中津なかつ出帆しゅっぱんの時から楽しんで居た処が、神戸に上陸して旅宿やどやついて見ると、東京の小幡篤次郎おばたとくじろうから手紙が来てあるその手紙に、昨今京阪の間はなはだ穏かならず、少々聞込ききこみし事もあれば
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
慶応義塾は社頭が福沢諭吉、副社頭が小幡篤次郎おばたとくじろう、校長が浜野定四郎はまのさだしろうで、教師中に門野幾之進かどのいくのしん鎌田栄吉かまだえいきち等があり、生徒中に池辺吉太郎いけべきちたろう門野重九郎かどのじゅうくろう和田豊治わだとよじ日比翁助ひびおうすけ伊吹雷太いぶきらいた等があった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
私が中津にいって、小幡篤次郎おばたとくじろう兄弟を始め同藩子弟七、八名に洋学修業を勧めて共に出府するときに、中津からず船にのっ出帆しゅっぱんすると、二、三日天気が悪くて、風次第で何処どこの港に入るか知れない
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)