“いなめ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
稲目60.0%
稻目40.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
系譜をみても明らかなごとく、欽明きんめい天皇より太子に至るまでの皇室には、蘇我一族の血統が最も親しくむすばれている。武内宿禰たけのうちすくね以来の名門として稲目いなめ輔弼ほひつの大任を背負ったことも無視出来ない。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
まえに述べたように、それは、三代六十年にわたるのであって、明治、大正、昭和の三代と、ほとんど同じ期間の事業である。稲目いなめをくわえれば、八十年におよぶのである。
この天皇は蘇我そが稻目いなめの大臣の女のオホギタシ姫と結婚してお生みになつた御子はタメの王お一方です。
弟橘の豐日とよひの命、池の邊の宮にましまして、三歳天の下治らしめしき。この天皇、稻目いなめの大臣が女、意富藝多志おほぎたし比賣に娶ひて、生みませる御子、多米ための王一柱。
また宗賀の稻目いなめの宿禰の大臣が女、岐多斯きたし比賣に娶ひて、生みませる御子、橘の豐日の命、次に妹石坰いはくまの王、次に足取あとりの王、次に豐御氣炊屋とよみけかしぎや比賣の命、次にまた麻呂古の王、次に大宅おほやけの王