遠江とおとうみ)” の例文
わたくしは遠江とおとうみ浜松はままつにご在城ざいじょうの、徳川家康とくがわいえやすさまのおんうちでお小姓こしょうとんぼぐみのひとり、万千代まんちよづきの星川余一ほしかわよいちというものでござります
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
近国の諸侯で尾州藩に属し応援を命ぜられたのは、三河みかわの八藩、遠江とおとうみの四藩、駿河するがの三藩、美濃の八藩、信濃しなのの十一藩を数える。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
それは本居宣長翁の弟子の石塚龍麿いしづかたつまろという遠江とおとうみの学者であります。この人が仮名の用法を調べた結果が二つの書物となって現れております。
古代国語の音韻に就いて (新字新仮名) / 橋本進吉(著)
安永四年の序文を掲げてあるが、その中にはすでに遠江とおとうみのカナコバシ、西国さいごく地方のセンバゴキ(千把扱き)の名が見えている。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
そうら、ぐるりと廻れば三河の猿投山、三河とは三河の国のことで、三河は遠江とおとうみの隣りで、遠江は遠州ともいう……お城を見な、名古屋の城を
大菩薩峠:32 弁信の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
静岡県は遠江とおとうみ駿河するが伊豆いずとの三国を含みます。富士の国といってもよいでありましょう。四季をその眺めで暮します。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
上野こうずけにて夜の物、またヨメまたムスメなどいう、東国にもヨメと呼ぶ所多し、遠江とおとうみ国には年始にばかりヨメと呼ぶ。
東山道からは、近江、美濃、飛騨ひだのものが来たが、東海道では、遠江とおとうみから東の者は源氏に味方し、それが北陸道となると、若狭わかさ以北は一兵も集らなかった。
傾く月の道見えて、明けぬ暮れぬとゆく道の、末はいつくと遠江とおとうみ、浜名の橋の夕潮に、引く人もなき捨て小舟おぶね
足利氏のもとに九州探題となって、統治に抜群の功を立てた人、後義満のとき、離間の策をろうした人があるらしく、義満の不興をこうむり、遠江とおとうみ蟄居ちっきょして他意のないことを示した。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
遠江とおとうみ御前崎おまえざきへ往ったのは大正十四年の二月二日であった。岬には燈台があって無線電信の設備もあった。その燈台の燈光は六十三万燭で十九かいり半の遠距離に及ぶ回転燈であった。
真紅な帆の帆前船 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
遠江とおとうみの橋本宿は吾妻鏡にも見える遊女の本場だが、気がむけばそのまま遠江まで足をのばすという寛濶さで、馬が疲れると自分のを捨てて通りがかりの馬をひったくり、群盗の野館のだちのあるところは
無月物語 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
*ふぐの身皮(三河)の間の遠江とおとうみというところは皮より美味い。
料理メモ (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
輿丁 遠江とおとうみの専信房様の御到着でございます。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
伊勢国(山田、松阪、津、一身田、四日市、桑名) 尾張国(名古屋、熱田、津島、大野、半田) 三河国(豊橋、岡崎、北大浜、西尾、蒲郡、豊川) 遠江とおとうみ国(掛川、浜松、平田、中泉) 駿河するが国(静岡、小川、清水、藤枝) 相模さがみ国(大磯) 武蔵国(忍) 上総かずさ国(千葉、茂原) 近江おうみ国(大津、豊蒲、五ヶ荘、愛知川、八幡、彦根、長浜) 美濃国(岐阜) 上野こうずけ国(安中、松井田、里見、高崎、八幡) 岩代いわしろ国(福島) 陸前国(築館、一迫) 陸中国(盛岡、花巻) 陸奥むつ国(弘前、黒石、板屋野木、鰺ヶ沢、木造、五所川原、青森、野辺地) 羽前うぜん国(米沢、山形、寒河江、天童、楯岡、新庄、鶴岡) 羽後うご国(酒田、松嶺、湯沢、十文字、横手、沼館、六郷、大曲、秋田、土崎、五十目、能代、鷹巣、大館、扇田) 越後国(新井、高田、直江津、岡田、安塚、坂井、代石、梶、新潟、沼垂、葛塚、新発田、亀田、新津、田上、加茂、白根、三条、見附、浦村、片貝、千手、六日町、塩沢、小出、小千谷、長岡、大面、寺泊、地蔵堂、新町、加納、野田、柏崎) 丹波国(亀岡、福知山) 丹後国(舞鶴、宮津、峰山) 但馬たじま国(出石、豊岡) 因幡いなば国(鳥取) 伯耆国(長瀬、倉吉、米子) 出雲国(松江、平田、今市、杵築) 石見いわみ国(波根、太田、大森、大国、宅野、大河内、温泉津、郷田、浜田、益田、津和野) 播磨はりま国(龍野) 備前びぜん国(閑谷) 備後びんご国(尾道) 安芸国(広島、呉) 周防すおう国(山口、西岐波、宮市、徳山、花岡、下松、室積、岩国) 長門ながと国(馬関、豊浦、田辺、吉田、王喜、生田、舟木、厚東、萩、秋吉、太田、正明市、黄波戸、人丸峠、川尻、川棚) 紀伊国(高野山、和歌山) 淡路国(市村、須本、志筑) 阿波国(徳島、川島、脇町、池田、撫養) 讃岐さぬき国(丸亀、高松、長尾) 伊予国(松山、宇和島、今治) 土佐国(高知、国分寺、安芸、田野、山田、須崎) 筑前国(福岡、若松) 筑後国(久留米、吉井) 豊前ぶぜん国(小倉、中津、椎田) 豊後ぶんご国(日田) 肥前ひぜん国(長崎、佐賀) 肥後ひご国(熊本) 渡島おしま国(函館、森) 後志しりべし国(江差、寿都、歌棄、磯谷、岩内、余市、古平、美国、小樽、手宮) 石狩国(札幌、岩見沢) 天塩てしお国(増毛) 胆振いぶり国(室蘭)
妖怪学講義:02 緒言 (新字新仮名) / 井上円了(著)
けれどその後、三河、遠江とおとうみのうちにあった武田氏所属の城砦じょうさい十何ヵ所というものを、毎月のように、一城一城攻め取って行った。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
武蔵むさし上野こうずけ下野しもつけ甲斐かい信濃しなのの諸国に領地のある諸大名はもとより、相模さがみ遠江とおとうみ駿河するがの諸大名まで皆そのお書付を受けた。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
東海道でも駿河するがの吉原、遠江とおとうみ白須賀しらすかなどは、住民の都合で何度も町を移している。最初の場処も今では変化してしまった。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ここで中部と名づけるのは便宜上、美濃みの飛騨ひだ尾張おわり三河みかわ遠江とおとうみ駿河するが伊豆いず甲斐かい信濃しなのの九ヵ国を指します。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
遠江とおとうみの国久野の作仏房さぶつぼうという山伏は、えんの行者の跡を訪い、大峯を経て熊野へ参詣すること四十八度ということであるが、熊野権現の前で祈っている時
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
梅園女史はその祝儀に献上する目的で、東海吟行一巻を作るために、遠江とおとうみから駿河、相模さがみのくにと旅をした。
雨の山吹 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
ある日の夕べ、遠江とおとうみ池田いけだ宿しゅくに泊ることとなり、その日は宿の長者、熊野ゆやの娘、侍従の許に宿をとった。
この間還俗されて宗良の御俗名を用いられ、伊勢いせ遠江とおとうみ越後えちご越中えっちゅう等におられたが、おもには信州におられたので、信州大王と申しあげている。後村上天皇崩御になり、親房も薨去した。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
乗っているのは——わめいているのは、菊池半助きくちはんすけにドヤされて、遠江とおとうみの国をすッ飛んできた、泣き虫の蛾次郎がじろうであった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
富士石という石がまた一つ、遠江とおとうみの石神村にもありました。村の山の切り通しのところにあって、これも年々大きくなるので、石神大神として祀ってありました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
遠江とおとうみのくに浜松城の外曲輪そとぐるわに、お繩小屋といって軍用の繩やむしろを作る仕事場がある、板敷のうちひろげた建物で、今しも老若四五十人の女たちが藁屑わらくずにまみれて仕事をしていた。
日本婦道記:萱笠 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
お松とお君との別れは、遠江とおとうみの海でお君が船に酔って船に酔って、たまらなくなって以来のことであります。あの時、お君だけは意地にも我慢にも船におられないで、上陸してしまいました。
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
遠江とおとうみから平山越ひらやまごえにかかり、やがて目標の地、三河へ攻め入ろうと、その夜、河原をまえに野営していた時である。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
つまり伊勢とか、もう少し東に寄って駿河するがとか遠江とおとうみとかいうくらいまでのところが、区切りになっているような気がして、あのへんの歴史が等閑に附されているようである。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
甲、信、駿の全土をその勢力のもとにつかんだ武田たけだ氏は、遠江とおとうみ参河みかわの一部を侵して、ずいしょに砦城をふみやぶりながら、三万余の軍勢をもって怒濤どとうのごとく浜松城へと取り詰めている。
死処 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
瀬戸内海を縫うてまた浪速なにわへと志し、安治川あじかわを上って京の伏見より江州を経て勢州に至り、尾張、三河、遠江とおとうみ、そこの狩宿に十王堂を建て、十王尊と奪衣婆だつえばを納め、駿河するがの随所に作物を止めて
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
南——遠江とおとうみの国は浜松の城、徳川家康とくがわいえやす隠密組おんみつぐみ菊池半助きくちはんすけのところを指して、いっきにわしをかけらせた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
静岡県方言辞典を見ると、遠江とおとうみ磐田いわた郡で、オゴナイというのは猿楽さるがくのことだとある。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
遠江とおとうみ(伊達宗利)さま、一ノ関(兵部宗勝)さま、岩沼(田村右京)さまが拝謁はいえつし、次に、式部(伊達宗倫むねとも)さま、左兵衛(伊達宗親)さま、弾正だんじょう(伊達宗敏)さま、肥前(伊達宗房)さま
むしろ、好機くべからずとして、活溌な外交と、兵力を用いて、今川義元のあとの——今川氏真うじざねの勢力を、駿河するが遠江とおとうみの二国からまったく駆逐くちくしてしまったのである。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いずれにしても焼畑のしばしば行われ、また地形のそれに適する区域を、甲州などは何々草里そうりといい、駿河・遠江とおとうみではゾウレといって、地図にはよく蔵連などという文字が宛ててある。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「ああそれは遠江とおとうみ二股ふたまた城の石だよ」と教えてれた。
石ころ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
阿曾あそノ宮は、山伏姿となって吉野の奥へはしり、妙法院ノ宮宗良むねながは、湖を渡って、遠江とおとうみ方面へ落ちてゆかれた。——すべて離散の人もみな霏々ひひたる枯葉こようの行方と変りがない。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
右の初矢のハツはハテ・ハシ・ハチなどと語原を同じくし、土地の端または境の義なることは、三河・尾張その他諸国のハツ崎、津の国の浦の初島、遠江とおとうみの初倉荘等多くの例証がある。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
それが例の蒙求もうぎゅうを囀るということわざの引続きであって、しかも句としては新らしかった。『物類称呼ぶつるいしょうこ』は安永年間の書物であるが、あの中には関東で「一筆啓上せしめ候」、遠江とおとうみ国においては
富力のある武田家が、文化の移入に不利な地勢にあるにひきかえて、三河、遠江とおとうみは中央に近く、海運の便もあったので、富める甲州軍の持たないものをも、貧しい徳川勢はすでに備えていたのである。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
雑賀隼人さいかはやと、長井遠江とおとうみの二名こそよからんと、みな申しますので」
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
イタンドリ 遠江とおとうみ御前崎おまえざきその他