おく)” の例文
泥足どろあしのままおくするところもなく自ら先に立って室内へ通った泰軒居士こじ、いきなり腰をおろしながらひょいと忠相の書見台をのぞいて
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
また勢いがいいのでとうとうおくしてしまって一郎も嘉助も口の中でお早うというかわりに、もにゃもにゃっと言ってしまったのでした。
風の又三郎 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
人中にまれておくごころはほとんど除かれている彼に、この衷心から頭をもたげて来た新しい慾望は、更に積極へと彼に拍車をかけた。
食魔 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
しかるに余の三人は人にたかって置きながら、中には割腹の場合に臨んでおくれを取り、人の介錯を煩わした者もあったそうである。
鳴雪自叙伝 (新字新仮名) / 内藤鳴雪(著)
「うんにゃ、あのまた気高い処から言語ことば付の鷹揚な処から容子ようすがまるで姫様よ。おいら気がおくれて口が利悪ききにくい。」「その癖優しいだ。」
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
少女は素足のすねを幾分寒さうにのばしながら、奥まつた一隅に朝着のまま立つてゐる伊曾の方へおくした様子もなく進んで行つた。
青いポアン (新字旧仮名) / 神西清(著)
当年十六歳にしては、少し幼く見える、痩肉やせじしの小娘である。しかしこれはちとのおくする気色けしきもなしに、一部始終の陳述をした。
最後の一句 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
しょうがこのごろれたばかりの、わかくろうしは、みずおくせずにずんずんといけなかかってはしるようにあるいていきました。
百姓の夢 (新字新仮名) / 小川未明(著)
女一人ではじめてこんなところに来るのは心おくするのも無理はない。ところで月水金は既願人の続行審理の日となつてゐた。
老残 (新字旧仮名) / 宮地嘉六(著)
この狂気きちがいじみた事の有ッた当坐は、昇が来ると、お勢はおくするでもなくはじらうでもなく只何となく落着が悪いようで有ッた。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
しかし、ほかには渡瀬という家がなさそうだから、跡戻あともどりをして、その前をうろついていると、——実は、気がおくしてはいりにくかったのだ——
耽溺 (新字新仮名) / 岩野泡鳴(著)
彼らはわれわれの怒りを見て、哀れにも震えおののいて、その心はおくし、その眼は女や子供のように涙もろくなるだろう。
『たしかに、義清の耳へ、はいったのだろうか。まさか、おくして、自身の郎党を、見殺しにするつもりでもあるまいに』
お角さんは、案内につれて、おめずおくせず送り込まれたのは、伊太夫の座敷でなく、不破の関守氏の部屋なのでした。
いくらかおくしたような態度で、彼女は机のそばへ寄って来たが、手に半分開いたまま折り畳まれた小冊子をもっていた。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
勿論、警官にみつかれば、しかられるのでしょうが、このアワア・ギャング達は、おめずおくせず、堂々と取ってのけ、その場で、ぼくにくれるのでした。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
御助け下されはゝ看病かんびやういたさせ度候とおくしたる形容けしきもなく申立れば是を聞れ其方が申ところ不分明ふぶんみやうなり伊勢屋方にて五百りやうぬすみ又金屋へも入りて種々しゆ/\ぬすみ女を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
こわづかいに貫目があると思われた。その他の人はおくしてしまったようで、態度も声もものにならぬのが多かった。
源氏物語:08 花宴 (新字新仮名) / 紫式部(著)
「恋愛」とおくするところ無くはっきりと発音して、きょとんとしている文化女史がその辺にもいたようであった。
チャンス (新字新仮名) / 太宰治(著)
自分は行儀ぎょうぎを知らず、作法さほうが分からぬと、自分の弱点を知ったとても、人の前に出て、決しておくすることはない。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
それツと取卷く足輕の六尺棒の中に、平次はおくれた色もなく小腰を屈めたまゝ、ツ、ツ、ツと進んだのです。
是より最後のたのしみは奈良じゃと急ぎ登り行く碓氷峠うすいとうげの冬最中もなか、雪たけありてすそ寒き浅間あさま下ろしのはげしきにめげずおくせず、名に高き和田わだ塩尻しおじり藁沓わらぐつの底に踏みにじ
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
同時に、此おくれた気の出るのが、自分をひくくし、大伴氏を、昔の位置から自ら蹶落けおとす心なのだ、と感じる。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
驚いたと云わんよりは、激したと云わんよりは、おくしたと云わんよりは、様子ぶったと云わんよりはむしろはるかに簡単な上げ方である。したがって哲学的である。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
見慣れないものに対してはすべての人はおくしやすく疑い深い。まして長い間ほとんど反対の物語を聞かされていた人々にとっては、了解に苦しむ個所が多いであろう。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
人におくせぬ黒いひとみでまともに見られた時、自分はなんだかとがめられたような気がした。
花物語 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
おくし候とお尋ねなされ候ところ、につことゑみを浮べ給ひ、何しに臆しはべらん、されど此の死顔のていを御覧ぜよ、定めし坊主は生きたる空もなき心地にて侍らんものを
いやなお人にはお酌をせぬといふが大詰めのきまりでござんすとておくしたるさまもなきに、客はいよいよ面白がりて履歴をはなして聞かせよ定めてすさましい物語があるに相違なし
にごりえ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
と云って足が麻痺したのではなく、眼の前にある光景が、変に異様であり妖しくもあり、厳かでさえあることによって、彼の心が妙におくれ、進むことが出来なくなったのである。
仇討姉妹笠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
みんな、人間のやつてゐる事は、喜劇の連続だつた。心おくして、こそこそと喜劇のなかで、人間は生きる。正義をふりかざす事も喜劇。人間の善も悪もみな喜劇ならざるはない。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
おのおの貧富にしたがって、紅粉こうふんを装い、衣裳を着け、そのよそおいきよくして華ならず、粗にして汚れず、言語嬌艶きょうえん、容貌温和、ものいわざる者もおくする気なく、笑わざるも悦ぶ色あり。
京都学校の記 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
勘次かんじ草臥くたぶれやしないかといつてはおしなあしをさすつた。それでもおしな大儀相たいぎさう容子ようすかれおくしたこゝろにびり/\とひゞいて、とて午後ごゞまでは凝然ぢつとしてることが出來できなくなつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
それ故、それぞれの思いにちている大人にとってこの少年の出現は心をみだすほどの注意もひかないのであった。悪びれもせず、勿論もちろんおくした風もなく少年は隅の方に控えていた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
もはや世のそしりもおそれませぬ、人の批判にもおくしませぬ、いまこそ、瓦礫のなかに無名のしかばねを曝す覚悟ができました、いまこそおのれの死處がわかりました、さきほどの過言を
死処 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
男が来ているかいないか分らないが、来ていれば、こうすれば聞くであろう。その女には、こんな者がついているぞと思わせようと思って、潜戸くぐりのところに寄って、おくせず、二つ三つ
霜凍る宵 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
一四三里遠き犬の声を力に、家に走りかへりて、彦六にしかじかのよしをかたりければ、一四四なでふ狐にあざむかれしなるべし。心のおくれたるときはかならず一四五まよはし神のおそふものぞ。
ダヴィデは心おくしもせず、振り向いて王をながめた。そしてサウルのひざに頭をのせて、また歌をつづけた。夕闇ゆうやみが落ちてきた。ダヴィデは歌いながら眠ってしまい、サウルは泣いていた。
それを聞くと私は一寸太刀打たちうちが出来ない気がして、ややこころおくするを覚えた。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
時々雨が降ったけれども、パイヤスやパンタロンやジルなどという道化者らはそれにおくしもしなかった。その一八三三年の冬の上きげんさのうちにパリーはヴェニスの町のようになっていた。
いへ、いへ、おくするなかれ、かれらを神々の如く信ぜよ。 一二一—一二三
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
「もっと声を大きくして漢文は朗々ろうろうとしてぎんずべきものだ、語尾をはっきりせんのは心がおくしているからだ、聖賢の書を読むになんのやましいところがある、この家がこわれるような声で読め」
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
しやくになつたときですらもあいちやんは、おくしながら其方そのはうあるいてきました、『屹度きつとそれはうしてもあばれる狂人きちがひちがひない!わたしはそれよりもむし帽子屋ばうしやきたいわ!』とひながら。
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
と、おくせず底をぶちまけるアメリカ流に、博士は驚くかと思いのほか
広子はそれでも油断せずに妹の顔色をうかがったり、話の裏を考えたり、一二度はかまさえかけて見たりした。しかし辰子は電燈の光に落ち着いたひとみませたまま、少しもおくした色を見せないのだった。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
そして、その姿勢のまま、おくする色もなく横蔵に言った。
紅毛傾城 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
少しもおくせず卒直に云つた
おくした狼はゆく
太陽の子 (旧字旧仮名) / 福士幸次郎(著)
しかしおくし心の逸子はやはり家の持主に対して内証の隠事をしている気持が出て来て、永くは見廻していられなかった。
食魔 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
「はい。」ほゝまるい英太郎と違つて、これは面長おもながな少年であるが、同じやうに小気こきいてゐて、おくする気色けしきは無い。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
ここでもまたしかるもの威嚇いかくするものがあって不愉快であったが、若君は少しもおくせずに進んで出て試験を受けた。
源氏物語:21 乙女 (新字新仮名) / 紫式部(著)