筑紫つくし)” の例文
懐良王は、後醍醐ごだいご帝の皇子、延元えんげん三年、征西大将軍に任じ、筑紫つくし鎮撫ちんぶす。菊池武光きくちたけみつこれに従い、興国こうこくより正平しょうへいに及び、勢威おおいに張る。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
大伴旅人の歌に、「此処にありて筑紫つくし何処いづく白雲の棚引く山のかたにしあるらし」(巻四・五七四)というのがあって、形態が似ている。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
今から十三年前、筑紫つくしの配所で死んで以来、なぜなのか、神格化されて、崇めねば、むしろ恐ろしいもののように、鳴りとどろいている。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
十二代じゆうにだい景行天皇けいこうてんのうが、筑紫つくし高田たかだ行宮あんぐう行幸ぎようこうされたときには、なが九千七百尺きゆうせんしちひやくしやくのその丸太まるたが、はしになつてかゝつてゐました。
森林と樹木と動物 (旧字旧仮名) / 本多静六(著)
人に聞けば、疫病えやみで死んだの、筑紫つくしへ下ったのと言いおるわ。あとで聞けば、なんの、奈良坂ならざかのしるべのもとへ、一時身を寄せておったげじゃ。
偸盗 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
タラシナカツ彦の天皇(仲哀天皇)、穴門あなと豐浦とよらの宮また筑紫つくし香椎かしいの宮においでになつて天下をお治めなさいました。
その後文明九年には長尾景春ながおかげはるに招かれ、文明十二年には大内正弘おおうちまさひろに招かれて、周防すおう山口に下り、さらに筑紫つくしに旅をした。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
そして天皇はもはやとくにおくなりになったとお言いふらしになり、そのお空骸なきがらをつれておかえりになるていにして、筑紫つくしをお立ちになりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
菅家くわんけ筑紫つくしにてこうじ玉ひたるは延喜えんぎ三年二月廿五日なり、今を去る事(百樹曰、こゝに今といひしは牧之老人が此したがきしたる文政三年をいふなり)
「白蓮」は藤原氏の娘なり「王政ふたたびかへりて十八」の秋、ひむがしの都に生れ、今は遠く筑紫つくしはてにあり。
柳原燁子(白蓮) (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
「天神様をごらんなさいな、菅原道真公を。天神様はあの通りのいいお方でしょう、それでさえ筑紫つくしへ流されたじゃありませんか、時平公しへいこう讒言ざんげんで……」
大菩薩峠:25 みちりやの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
筑紫つくし大宰府だざいふから都まで、十五日でくるものを、いくら遠いといっても備前、備中の間が十二、三日かかるわけがない、せいぜい三日というところであろう。
特に筑紫つくし一帯の諸窯は文禄ぶんろくえきこの方、花の如く咲き乱れた。あるいは温室にあるいは野辺にその香を競うた。その壮観はよく他窯の比べ得るところではない。
北九州の窯 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
筑紫つくし警部、平岡巡査らは倔強くっきょうの剛力を引率し、一行十二人注意周到なる準備をして、登山し来られたり、そもそも下山は予に於て実に重大の関係あるが故に
西は筑紫つくしの海の果から、東は南部・津軽の山の蔭に及ぶまで、多くの農民の行事がほとんどわずかの変化もなしに、一時一様に行わるるは今なおきのうのごとくであって
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
自分は岩代いわしろのものである。夫が筑紫つくしへ往って帰らぬので、二人の子供を連れて尋ねに往く。
山椒大夫 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
山伏に誘われて、筑紫つくしの安楽寺という所の山中へ行き、八十歳あまりの老僧に面会したり。
迷信解 (新字新仮名) / 井上円了(著)
一度もうでたらんほどのものは、五十里、百里、三百里、筑紫つくしの海のはてからでも、思いさえ浮んだら、つか此処ここに来て、虚空こくう花降はなふる景色を見よう。月に白衣びゃくえの姿も拝もう。
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「県の何某がのここにあるはまことか」と云うと、鍛冶かじの老人が出て、「この家三とせばかり前までは、村主すぐりの何某という人のにぎわしくて住侍すみはべるが、筑紫つくし商物あきもの積みてくだりし、 ...
蛇性の婬 :雷峰怪蹟 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
狭い物置小屋に、一本蝋燭の灯が、筑紫つくし不知火しらぬいとも燃えて、若侍の快談、爆笑……。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
産れ故郷の筑紫つくしを出て海道筋を押し上ぼりそこからちょっと横へれ、この信州の諏訪まで来ると日本第一大軍神、諏訪明神の境内で、計らず見つけた四本柱、中で一番大きい奴の
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
はては遠く九州筑紫つくしの名所も知らなくてはと思って、遠くまで船旅をする人が、こんどは富士や筑波の山々に行ってみたいと、ふかく心かれるのも、思えば、泰平の世の余沢よたくとして
三日に揚げずに来るのに毎次いつでも下宿の不味いものでもあるまいと、何処かへ食べに行かないかと誘うと、鳥は浜町はまちょう筑紫つくしでなけりゃア喰えんの、天麩羅は横山町よこやまちょう丸新まるしんでなけりゃア駄目だのと
斎藤緑雨 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
(縁に腰をかける。)さうしてそれが都は勿論、遠い陸奧から筑紫つくしの果までも傳はつて、伏柴の加賀といへば日本に隱れのない才女、あつぱれの歌よみだと皆んなが褒めそやすに相違ございません。
能因法師 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
第二十六代の天皇継体けいたいの時代には、筑紫つくし磐井いわいが反抗した。
一年ひととせや、筑紫つくし崗田をかだの宮。
新頌 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
筑紫つくし館に、宿を取った。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
「叔父上のおことばでは、たとえ一時は筑紫つくしへ逃げた尊氏でも、いまにきっと大軍で攻めのぼって来るぞ、と仰っしゃっておいででした」
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
菅家くわんけ筑紫つくしにてこうじ玉ひたるは延喜えんぎ三年二月廿五日なり、今を去る事(百樹曰、こゝに今といひしは牧之老人が此したがきしたる文政三年をいふなり)
天平勝宝七歳二月、坂東ばんどう諸国の防人さきもり筑紫つくしに派遣して、先きの防人と交替せしめた。その時防人等が歌を作ったのが一群となって此処に輯録せられている。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
武士はやうやく実力がありながら官位低く、屈して伸び得ず、藤原氏以外の者はたまたま菅公が暫時栄進された事はあつても遂に左遷を免れないで筑紫つくしこうぜられた。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
ただ今では筑紫つくしの果に流浪して御出でになるとやら、あるいはまた東海の波を踏んで唐土もろこしに御渡りになったとやら、皆目御行方かいもくおゆくえが知れないと申すことでございます。
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
この島はまたの名をアメノオシコロワケといいます。次に筑紫つくしの島(九州)をおみになりました。やはり一つに顏が四つあります。顏ごとに名がついております。
いまから一千八百年いつせんはつぴやくねんばかりむかし筑紫つくしいま九州きゆうしゆう)に扶桑木ふそうぼくつて、なかまれ大木たいぼくがありました。
森林と樹木と動物 (旧字旧仮名) / 本多静六(著)
この方面においては、北は津軽の十三潟じゅうさんがた、秋田の八郎潟から、南は筑紫つくし香椎かしい潟、宗像むなかたに及んでいる。北国においては、ガタとはまた平地の湖を意味する普通名詞である。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
そういう点で、いまは宮崎龍介みやざきりゅうすけ氏夫人であるもとの筑紫つくしの女王白蓮びゃくれん女史の燁子あきこさんは幸福だ。
明治大正美人追憶 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
するとお子さまは、ちゃんと筑紫つくしへお凱旋がいせんになってからご無事にお生まれになりました。それはかねて神さまのお告げのとおりりっぱな男のお子さまでいらっしゃいました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
筑紫つくし不知火しらぬいといえば、なにびとも知らざるなく妖怪中の巨魁きょかいであるが、先年、熊本高等学校の教員は海中の虫ならんと思い、海水をくんで試験を施してみたれども原因不明であった。
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
此の家三とせばかりさきまでは、村主すぐりの何某といふ人の、一八九にぎはしくて住みはべるが、一九〇筑紫つくしあきみてくだりし、其の船行方ゆくへなくなりて後は、家に残る人も散々ちりぢりになりぬるより
筑紫つくしの平野を車は東にと走る。見渡す限り金色に光る菜の花の敷物である。あの黄色を好んだ画家ホッホが見たら狂喜したであろう。不思議にも美しい自然は絵画を通して私たちの眼に入る。
日田の皿山 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
備前から四国にわたり、おもに讃岐さぬきにいて、筑紫つくしまで行ったようだ。六十九歳になって再び伊勢に行き、そこから東海道を鎌倉に出て頼朝に謁し、はるか奥州平泉ひらいずみまで藤原秀衡ひでひらに会いに行った。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
筑紫つくし不知火しらぬいは、闇黒やみにあって初めて光るのじゃっ!」
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
一年ひととせや、筑紫つくし崗田をかだの宮。
新頌 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
時の後醍醐が、この九州菊池党へ、秘勅をくだして、早くから筑紫つくし無二のお味方とたのまれたのも、決して偶然なことではない。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
○さて時平が毒奏どくそうはやくあたりて、同月廿五日左降さがう宣旨せんじ下りて右□臣のしよくけづり、従二位はもとのごとく太宰権帥だざいごんのそつとし(文官)筑紫つくし左遷させんに定め玉へり。
ここにありて筑紫つくしやいづく白雲しらくも棚引たなびやまかたにしあるらし 〔巻四・五七四〕 大伴旅人
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
近世の口碑こうひにおいては筑紫つくしの人旅に死し、その霊化して蝉となってツクシコイシと啼くと、也有やゆうの「百虫賦ひゃくちゅうふ」にはあるそうな。その筑紫方面の聴き様もそれと近く、いずれも寒蝉を
次に筑紫つくしの島を生みたまひき。この島も身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。
三十三歳の豊麗な、筑紫つくしの女王白蓮は、『踏絵』一巻でもろもろの人を魅了しつくしてしまって、銅御殿あかがねごてんの女王火の国の白蓮と、その才華美貌をたたえる声は、高まるばかりであった。
柳原燁子(白蓮) (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
まずいちばんさきに淡路島あわじしまをおこしらえになり、それから伊予いよ讃岐さぬき阿波あわ土佐とさとつづいた四国の島と、そのつぎには隠岐おきの島、それから、そのじぶん筑紫つくしといった今の九州と、壱岐いき対島つしま
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)