碧落へきらく)” の例文
近い岸より、遠い山脈が襞目ひだめ碧落へきらくにくつきり刻み出してゐた。ところどころで落鮎おちあゆふさ魚梁やなされる水音が白く聞える。
(新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
十方の碧落へきらくよりも、四方の野辺の自然よりも、武蔵にはこの小さい工芸品が、いちばん美麗に見えた。見ている間だけでも、慰められた。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
弁信法師のいうことは、かみ碧落へきらくをきわめ、しも黄泉こうせんに至るとも、あなたの姉を殺したものがこの人のほかにあるならばお目にかかる——それは途方もない出放題でほうだい
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
天は高く晴れ渡って碧落へきらくに雲無く、露けき庭の面の樹も草もしっとりとして、おもむきの有る夜の静かさに虫の声々すずしく、水にも石にも月の光りが清く流れて白く
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
それでまためづらしくなつて、一旦いつたんせたのをまたけてると、不圖ふと假名かなまじらない四角しかくが二ぎやうほどならんでゐた。それにはかぜ碧落へきらくいて浮雲ふうんき、つき東山とうざんのぼつてぎよく一團いちだんとあつた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
昼のように明るい冬の月が晃々こうこうと高くかかって、碧落へきらく千里の果てまでも見渡されるかと思われる大空の西の方から、一つの黒い影がだんだんに近づいてきた。それは鳥である。鷲である。
(新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
それからおのれは草の上に仰向あおむけにねころんで快い疲労感にウットリと見上げる碧落へきらくきよさ、高さ、広さ。ああ我もと天地間の一粒子いちりゅうしのみ、なんぞまた漢ととあらんやとふとそんな気のすることもある。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
生々と夏を待つ地上の何物よりも、晩春の碧落へきらくいろど虚空こくう何物よりも、彼の顔一つが、いちばん楽しそうであり、また、溌剌はつらつとしていた。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その蒼白そうはくにして沈鬱極まるおもてにたたえられた白くひらめく殺気。白日荒原の上に、地の利と人の勢いの如何いかんを眼中に置かず、十方碧落へきらくなきのところに身をさらして立つの無謀。
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
それでまた珍らしくなって、いったん伏せたのをまた開けて見ると、ふと仮名かなの交らない四角な字が二行ほど並んでいた。それにはかぜ碧落へきらくいて浮雲ふうんき、つき東山とうざんのぼってぎょく一団いちだんとあった。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
あんたんたる中に、ツウ——と赤い、一筋の光がみえた。まさに無明むみょうの底から碧落へきらくを仰いだような狂喜である。お綱は、われを忘れて闇を泳いだ。
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
くが如き炎天のもと碧落へきらくの十方、キチキチ、キチキチと、青い虫の飛び交うほか、旅人の影一つない真昼だった。
剣の四君子:05 小野忠明 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
十方碧落へきらく、一の雲もない秋だった。きびのひょろ長い穂に、時折、驢も人の背丈せたけもつつまれる。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
時折、笠のつばを上げて、四方の碧落へきらくを見廻す瞳は、疲れながらも、何かの希望に燃えている。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
加うるに、ここは高原なので、十方碧落へきらく身をかくすべき一木もないし、高低もない。
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やがて、やがて、渺茫びょうぼうとした裾野すそのと、はてなき碧落へきらくが目の前にめぐりまわってくる。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
どこの草葺くさぶき屋根にも、この防風林がつきもので、十ぽう碧落へきらくのほか何ものも見えない平野にあっては、時折、気ちがいのようにやッて来る旋風つむじかぜや、秩父颪ちちぶおろしの通り道のようになっている地形上
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)